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tokyo, Japan
パソコンとお香があればだいたい幸せです。

2011年12月31日土曜日

久々に、割と、まともなやつ。






(免許と学歴)
今、山形にいます。
12/19〜1/5で免許合宿です。

極寒ですが、知り合いも増え、快適なほぼ一人暮らし状態に満足しています。

なんで山形なの?とよく聞かれるんですが、
自分でも、あれ?なんで俺山形にしたんだっけと思ってました。

で、思い出したんです。
ただ安くて日程が合ったから。

すいません、中身のない話で。


で、思ったことが一つあるんですよ。
学歴って、環境が左右する割合が大きいなぁと。


仮免学科試験て、当たり前ですけど、すごいフェアなわけですよ。
今まで運転に関するバックグラウンドもみんな同じだし、
同じ合宿日で入った人は勉強出来る時間も同じ。

こういう試験て、あんまりないと思うんですよね。
受験だって、塾や学校によって教わる内容にバラつきがあるし。

で、同じ日に入校した人は色んな学生がいて、
慶應とか言うと「うわ慶應かよ」みたいな印象を持たれるんですけど、
学科試験を受ければ、
みんな合格していて、
理解度もみんな高くて。

ほんと当たり前のことなんだけど、
学歴と理解力ってあんまり相関がないというか、
誰だって、同じ環境でレースしたらあんま変わんないんだなって思いました。
(いや、もちろん個人差は大きく出るんだけど、標準をクリアすることは誰でもできるなと。)


企業とか、採用の際に本当に学歴にこだわるけど、
本当に優秀な人が欲しいなら全く無視すべきだと思うし、
学歴にこだわってる企業は長期的にみて衰退していくんじゃないかなと思う。
もちろん、学歴を無視すると採用選考コストがかさむのかもしれないけど。


(他人無視幸福論)
合宿中暇なんで、本とか読んでいます。
そこで書いてあったことや考えたことを1つ。

最近の人々(主に日本人)は色んな問題を抱えてるけど、
その根本て、「幸福を相対的な尺度でとらえてる」ことに起因するんじゃないの?
だから、周りを無視すれば幸せになれるんじゃないの?っていう話です。



要するに、自分と他人を比較するから辛くなってしまうんじゃないの?ってことです。
結婚、仕事、お金。
自分の中に絶対的な幸福の尺度があれば、
とにかくそれに従って行動すればいいわけです。

だけど、日本人というのは人が気になってしまう。
(※「日本人」という言い方はかなり語弊がありますが、これはあくまで個人的意見です)

でも、それは強みでもあり、弱みでもあると思う。

周りが気になるから、集団としては高いパフォーマンスが発揮できる。
(高いパフォーマンスというより、低くないパフォーマンス)
日本の治安や経済水準が高いのは、
日本人が周りを気にする(ことができる)特性のおかげなんだと思います。

でも、それは結局諸刃の剣で、
集団としての幸福感が
個人としての不幸感を招いてしまうんじゃないでしょうか。


だから、「日本人は周りを無視して、
自分の幸せを追求して生きていきましょう!」
というのはちょっとおかしくないか?って思ってしまったわけです。


でも、無視していいところはかなりあるはずです。
集団として押さえないといけないとこは押さえて、
無視できるとこは無視すれば、個人としても集団としても幸福感を最大化できるんじゃないでしょうか。


かくいう私も周りを気にする傾向があるので、
悩みもそこから起因したものが多いように思われます。

悩みに直面したら、
他人のことを無視すれば、
解決にはなりませんが、楽にはなれるので、
解決への準備にはなるのかもしれません。


では、明日も朝から教習ですので。


みなさま、
よいお年を。

2011年12月25日日曜日

クリスマスイヴ。
とある街にて、



女A「今日は本当にありがとう。ほんと嬉しかった。A、大好き」
男A「僕もだよ、A」「最後に、ちょっと話があるんだけど、いいかな」
女A「え?なに?」

男A「今日で、別れよう」
女A「え・・・」「ウソ、え、なんで、どゆこと?」
男A「別れよう」
女A「え、なんでなんで?どうして?今好きって言ってくれたじゃん!」
男A「好きだよ、だから泣かないで」
女A「じゃあどうして別れるとか言うの?」
男A「僕は君より自分の方が大切だって、気づいてしまったから」
女A「・・・え?どゆこと?」
男A「僕は君のことが好きなんじゃなくて、君を好きな僕が好きなんだ」
女A「え・・・?」「全然納得できないよ。。。私のこと好きならそれでいいじゃない」「別れなきゃいけないの?」
男A「君と付き合っていることが僕のただの自己満だなんて、悲しいから」「僕はやっぱり、自分のことが一番好きなんだ」
女A「Aの自己満でもいいよ!私のこと好きでいてくれるならそれでいいよ!」「だから・・・そんなこと言わないでよ」
男A「ごめん、でも、僕が悲しいんだ」「今日のサプライズだって、プレゼントだって、僕は君を喜ばせたかったんじゃなくて、君を喜ばせてる僕に酔っていたんだよ」
女A「え?なんなの・・・もう全然わかんないよ!泣」「Aはいっつもそうやってさぁ自分でややこしくしてるだけじゃん!泣」「そんなひねくれなくたっていいじゃん!泣」
男A「ひねくれてなんかないよ」「簡単だよ、君といると僕は悲しくなるから別れたいんだ」「ごめん」
女A「なんでそうやって勝手に悲観するのよ・・・そんなこと言われたら私だって悲しいよ・・・泣」
男A「だから、別れた方がいいかなと思って」
女A「今日だって・・・私すごい楽しかったのに・・・泣」「なにがいけなかったんだろう。。。私。。。泣」
男A「君はなんにも悪くないよ」「僕がいけないんだ」
女A「なんで・・・なんでよ・・・泣」


男B「うわ、あそこの人、めっちゃ泣いてる」
男C「ああいうカップルってしょっちゅういるよな」
男B「何話してるんだろな」
男C「いや、別れ話とかじゃないの?それかケンカとかじゃね?」
男B「クリスマスっていっても色々あんだなー、カップルは」
男C「あー彼女ほしー」




車掌A「駅、ホーム大変混雑しております」「押し合わず、ゆっくりとご乗車くださーい」

2011年12月19日月曜日

法と教育と技術革新

ごぶさたしておりました、お久しぶりでございます。

特段忙しかったというわけでもないのですが、
筆が進まない日が続いたというカンジです。


(連続ドラマの話)
今年の夏に放送されていた、「それでも、生きてゆく」というドラマをネットで全話見ました。
最近、あんまりドラマ自体見ていなかったんですが、
非常に面白かったです。

犯罪事件に関する、被害者家族と加害者家族の交錯がテーマという、
かなりディープな話なのですが、とてもうまく表現されていた。

明らかに、1997年の神戸児童連続殺人事件をモチーフにしているようなかんじでした。
だからとてもリアルだった。

加害者家族は罪を償うために悲惨な生活を送るわけですが、
そういうシーンを見ていて、家族って何なんだろうとか思ってしまいました。
たかが血が繋がってるだけで、なんで家族の罪を一緒に償わなきゃいけないんだ?って。

全然話は変わりますが、
僕は瑛太と満島ひかりのやりとりが好きでした。
妙にシュールで、面白かった。他のシーンがシリアスなだけに。

暇な人はググれば出てくると思うので見てみてください。





書きたいことは山ほどあるのですが、
さすがに眠いので、また後日。







2011年11月25日金曜日

とあるカフェにて。

男A「やっぱり、何歳になってもコーヒーはうまくない」
男B「はは。それ、もっと先に言ってよ。別のとこにしたのに」
男A「そもそも、エスプレッソとか、種類が多すぎるんだよ」「しかも、なんでこんな高いのにみんな飲むの」
男B「場所代込みだからでしょ」
男A「このコーヒー2杯で途上国の女の子が売買されてるなんて、理解出来ない」
男B「おおげさだなぁ」

男A「さっき一緒にいた人達と君は毎日働いてるんでしょ?」
男B「そりゃあ会社の同僚だからねぇ笑」
男A「プライベートまで彼らと共有するなんて、疲れないの?」
男B「疲れるさ。でも、慣れた」
男A「へぇ」
男B「そういうもんだよ、人間て」「それより、さっきは悪かったね。急に話しかけちゃって。」「あれ、君の彼女だろ?」
男A「彼女?違うよ」
男B「え?違うの?」
男A「そう見えた?」
男B「じゃあ誰?」
男A「編集者の人。」
男B「ヘンシューシャ?」
男A「今度、本出すんだ」
男B「本?君が?」
男A「そう、僕が。次で3冊目。」
男B「え?Webデザインの本?」
男A「違う、そっちは副業。」
男B「え?どゆこと?たしかWebデザインの会社に勤め始めたんじゃなかったっけ?」
男A「勤め始めたけど、そっちは副業」
男B「え?小説でも書くのかい君は?」
男A「んなわけ・・・笑」
男B「え、じゃあ何の本?」
男A「FX」
男B「あー、あの外貨で儲けるやつかぁ」
男A「まぁそうだね」
男B「君はそのFXについての本をもう3冊も書いてるのかい?」
男A「そう」
男B「そんなにFXやってるのかい?」
男A「いや、もうやってない」
男B「へぇぇ・・・いくらくらい儲けたの?」
男A「7億」
男B「!」
男A「半分は税金で持ってかれるけど」
男B「え、それ、本当?」
男A「うん」
男B「いや、信じられないなぁ」
男A「だって、僕の1冊目の題名、「FXで7億稼いだ男」だよ?」
男B「・・・・」「・・・あー・・・なんか働いてるのが馬鹿らしくなってきたよ」

男A「君もやれば?FX」
男B「7億稼げるなら今からでも始めたいよ」
男A「7億円分の精神は削られるけどね」
男B「たしかに少し痩せたね」
男A「これでもマシになったほうさ」「一度マイナス4億までいったことあるから」
男B「そりゃ地獄だね」
男A「あれは、本当の地獄だよ。それでも、たまにまた始めてみようかなとか馬鹿なこと思ったりするんだけどね」「人間て一度地獄を見ても、うまくいってると忘れちゃうんだよね。ほんと、馬鹿な生き物」
男B「いやぁ、やっぱり僕はそういうのは嫌だな」
男A「ほんと、無難に生きてた方が幸せだよ」
男B「よく言うよ。あぁ僕も一度は「金持ちの感覚」を味わってみたい」
男A「あぁそれ、みんな勘違いしてるみたいだけど、あんまり大したことないよ」
男B「だって、欲しいものはなんでも手に入るわけだろ?」
男A「値段のついてるものだけね」
男B「女だって、3億って言ったら放っておかないだろう?」
男A「いやいや。君は美女が金目当てで自分に近づいてきたら嬉しいか?」
男B「ちょっと嬉しいけど笑」
男A「それは、想像力が足りないだけ」「実際、あんなに虚しいことはない」
男B「あぁ、実証済なんだ笑」


男B「じゃあ今の方が不幸なのかい?」
男A「いや、そこはプラマイゼロかな」
男B「お金の分幸せなはずだって」
男A「違う」「不自由は減ったと思うけど」
男B「絶対、君が変わってるんだよ。」「フツーはお金持ちになったら幸せになるはずだって」
男A「いや、これは僕に限ったことじゃない。断言出来る気がするなぁ」「そもそも幸せなんて主観的なものだし」「自分が幸せって思えば幸せじゃないか」「世の中に「これが絶対幸せ」なんてないよ」
男B「なるほど、要するに君は僕を幸せにするためにいくらか分けてくれるってことだね」
男A「全然違うけど」





男B「あ」
男A「終電?」
男B「そう、悪いね」「今度また皆集めてゆっくり話そう」

男A「あぁ、そうだね」

2011年11月18日金曜日

西村博之

最近、「ひろゆき(本名:西村博之)」という人物に興味を持ち始めた。

西村博之:

日本実業家有限会社未来検索ブラジル取締役、有限会社パズブロック相談役。また2005年11月14日ドワンゴの関連会社ニワンゴの取締役にも就任している。ただし、本業は未詳。
インターネット匿名掲示板である2ちゃんねるの開設者かつ初代管理人。また地域情報の掲示板であるまちBBSの開設者でもある。


彼は本当に頭の回転が速い。
しかも飾ったり、繕ったりしない。
割りと好きな人物だ。


(勝間和代と西村博之の対談)
あんまり見て、気分のいいものではないので、
見たい人だけ見てください。






勝間は議論のすり替えばかりしているように思えた。
マッキンゼー出身者が、これくらいの議論しかできないなんて本当に驚いた。
全然論理的じゃないし、表面的なことしか発言してない。
終いには相手のことを感情的に批判しているし。
司会者失格でしょ。

考えてみれば、彼女のベストセラーを1冊読んだことがあるが、
内容が本当に薄っぺらいものであった。
「向上」についてしか書かれてないのだもの。


ラスボスのことはよく分かんないけど、
レベルあげるには、メタルキングを効率良く倒しましょうって。



彼女は公認会計士を最年少でとったり、いくつもの外資系有名企業に勤めた功績はあるけど、
彼女の人生として何か一つにつながっているようには思えない。
「向上」のプロかもしれないけど、
なんのために「向上」したの?っていう疑問が。

おそらく彼女は単に人に認められたかっただけなんだろう。

だから、単に人に認められたい人達が彼女をロールモデル化して崇拝する。
もちろん、人に認められたいっていう感情はいいことだと思うけど、
表面的に認められても、なんになるんだろうか。


さすがに批判しすぎたかな。


対するひろゆきは2ちゃんねるを立ち上げたり、
Rubyっていうプログラム言語(twitterのプログラム言語)開発したり、
ニコニコ生放送の会社立ち上げたり、
自分のやりたいことをただやってるのかもしれないけど、
結果的に社会に対してもの凄いインパクトあることをしていると思う。

他にもひろゆきの対談を見る限り、話し方とか知識とか意見とか周りに気配りできるとことか本当にすごいと思った。

自分が社長でコンサルタントを雇うとしたら、
勝間ではなく、絶対ひろゆきを雇うだろう。

2011年11月16日水曜日

サルの歌

「前進」と「向上」を履き違えちゃだめだ。
常に「向上」してれば不安からは逃れられるだろうけど、
それは、なんの「意味」もない。


一番地獄なのは、
「前進」していると思い込んで、
全く「前進」できないでいること。


「前進」するには、
とにかく自分と正直に向き合うしかない。


さぁどっちに「進」もうか。





(音楽)
iPodの曲数が7000曲を超えた。

なんで、人は音楽を聴くのだろうか。
音楽がなくたって生きてけるだろうけど、おそらくそれはあまり魅力的でない世界だろう。


ヒトには神経レベルで、他者に同調する仕組みが組み込まれているらしい。

たとえば、無意識に会話をしていても、
相手の微妙な動きに合わせて自分の動きを合わせる習性があるのだ。


マーチングバンドのように、
同調を強制するために音楽を利用する例もある。

動物界で音楽を楽しんだり、大きな集団で同調できるのは、
人類だけのようだ。


そういった「同調する」という神経機能は、
生物的に見て、かなり新たな機能であり、
人類特有の特筆すべき機能のようだ。

そこが人類が生き残れた強みなんだと思う。


今考えると、
かまってちゃんのライブでは同調してるヒト達がたくさんいた。

手をあげたり、
押したり、
ジャンプしたり。

そん時は、
こいつら馬鹿なんじゃねぇの?って思っちゃった。

「同調」してたわけね。





(橘いずみ)
サルの歌

2011年11月14日月曜日

答え合わせ

昨日、恵比寿で神聖かまってちゃんのライブに行きました。

僕は、ライブで人間観察するのが大好きです。
同じアーティストのファンが一カ所に集うわけだから、とても面白い。

ほんと色んな人がいる。
でも、神聖かまってちゃんが好きであるということは共通してる。

それが面白い。


今はバーチャルが進んでるし、
かまってちゃんファンはバーチャルが高い割合を占める人が多いから、
あ、こいつ、あいつじゃん。とか
まさか、こいつ、あいつか?
みたいなことがライブ行くとよくある。


「リリィ・シュシュのすべて」っていう映画を見たことある人なら、
なんとなく分かると思う。


そいでもって、開場してから、ライブ開始を待つまで、
神かまのファン達はガラケーやスマフォやiPadで、
電波の悪い中、
ライブ前の配信を熱心に見てるわけ。

メンバーが楽屋でスタンバイしながら、ニコニコ生放送で配信してるのを
数メートル先の会場でファンがみんなで観てんの。
めちゃくちゃ異常な光景だよ、ほんと。
すごい面白いけど。

中には、ライブ中もスマフォで配信を見てるやつまでいるんだよ?
例えるなら、Mステの観覧席で目の前のアーティスト見ずに、
スマフォでMステ観てるようなもんだよ笑

ほんと変わったやつばっかだった。




「だってさ、人生たった一回しかないんだよ?
本当に一回で終わっちゃうんだよ?
一回しかないんだから、やりたいことやればいいじゃん
周りに嫌われたっていいじゃん
嫌われんのビビってんじゃねーよ!」

2011年11月12日土曜日

LCCに初挑戦

マレーシア、タイ、インドあたりに旅行するということで、
エアアジアというLCCで初めて予約してみた。

LCCとはLow-Cost Careerの略で、格安航空会社のこと。
では、まず、なぜ安い運賃が実現されるのか?

運航コストが低い
(運航機種統一、中小空港の利用、設備簡素化などなど)


人件費を削減している


機内サービスの簡素化
(食料有料、預かり手荷物有料、エンターテイメント省略、スペースの有効利用)


航空券販売コスト削減
(インターネットによる手続き、キャンセル不可)


運賃以外での収益をあげている
(広告収入など)

これら経費削減によって、安い運賃が実現されている。
実際、トータルでいくらだったかというと、
羽田→クアラルンプール(マレーシア)の片道で、
¥16,800


正直、そんなに海外旅行経験がないので、めちゃくちゃ安いとは言いきれない。笑
しかし、他の航空券検索サイトでは往復で4万(チャージ等抜きで)だったので、
おそらく安いはずである。

乗ってみて後悔する可能性はあるが、
今のところはやや満足である。

ただ、席を選ぶ際に4000円の席か1500円の席かで選ぶのだが、
どの席にしたって1500円は絶対かかるのだから、座席代を手数料扱いするのはどうかと思った。

2011年11月10日木曜日

山口一郎と大島亮介

サカナクションのNewアルバム「DocumentaLy」を聴いた。
本当に素晴らしい作品だった。

僕は音楽の専門家じゃないから偉そうなことは言えないけれど、
アルバム全体として一つの「形」が形成されているような印象を受けた。

彼らが今回、このアルバムでドキュメンタリーという形式でアルバムを作ったことなんか正直どうでもいい。
それくらいに曲がどれも素晴らしい。



(サカナクションと神聖かまってちゃん)
今、僕は邦楽シーンに注目している。
なぜなら、サカナクションと神聖かまってちゃんというロックバンドの対決が面白いからだ。

サカナクションと神聖かまってちゃんは音楽的には全く違うけれど、
バンドとしては、とても似ていると思う。
しかし、それでいて、全く違う。

まるで、悟空とベジータのようなのだ。



①まず、簡単に紹介

サカナクション
2005年に結成され、2007年にデビュー。ギターボーカル担当の山口一郎を中心とした男女5人で構成される。バンド名は「」と「アクション」の単語を組み合わせた造語。「ミュージックシーンの変化を恐れず魚の動きのように軽快に素早くアクションしていく」という意味が込められている(当時のディレクターがそうしたほうがいいんじゃないか?と言ってそうなった)。当人達はサカナ+アクションをつけたかっただけらしい。

神聖かまってちゃん
楽曲はYouTubeニコニコ動画といった動画サイト、mF247などの音楽配信サイトでメンバー自身が公開する[2]2010年3月には楽曲がスペースシャワーTVPOWER PUSHに選ばれた[3]。2010年3月10日、1stミニアルバム『友だちを殺してまで。』でCDデビュー。同年3月28日、NHKMUSIC JAPAN』に、4月10日、フジテレビFACTORY LIVE 0410』に出演。同年、ワーナーミュージック・ジャパンよりメジャー・デビューする。 坂井真紀[4]久保ミツロウ[5]戸川純臼田あさ美能町みね子などがファンである。若手に対して戸川純がファンを公言するのは異例の事である。彼らの配信には、向井秀徳中村弘二増子直純大槻ケンヂ坂本龍一高橋幸宏も登場した。 「8月32日へ」(8月31日発売)が、8月30日付のオリコンデイリーチャートで初登場4位を記録



②バンドとしての共通点と相違点
・どちらもギターボーカルを担当する男が作詞作曲を行い。バンドの方向性をほぼ独裁している。
・どちらも男女のメンバーから構成される。
・どちらも地域性がある。(サカナはほぼ全員北海道出身、かまってちゃんは全員千葉県出身)
・始動がほぼ同時期。
・サカナはライブよりCDのクオリティの方が高く、神かまはCDよりライブのクオリティが高い(個人的主観による)

ややこじつけな感もある。しかし、僕が強調したいのはバンドとしての共通点よりもむしろ、山口一郎と大島亮介の比較である。


山口一郎(サカナ)と大島亮介(神かま)
音楽に対して
山口は「音楽と結婚している」と言いきり、音楽に身を捧げていると公言。プライベートはほとんどなく、曲作り中心の生活を送っている。そのため、山口の曲にはラブソングが全くない。
大島は「インターネット配信やライブよりも曲作りの方が圧倒的に大事である」と公言している。プライベートは自宅の作曲ルームに閉じこもり曲を作っている。

メンバーに対して
山口はレコーディングなど、メンバーに対して非常にストイックな側面があり、メンバーの意見は聞き入れるが独裁状態である。
大島はメンバーの音楽性を平気で罵倒するなど、山口以上にバンドを独裁している。
しかし、曲作りにおいてはどちらもメンバーにアレンジを頼み、意見を求めることが多い。

曲に関して
どちらもポップな曲を目指している。
山口はその時の感情の起伏を曲にする。
大島も日記のようにその時思ったことを曲にしていく。
(ここからは僕の主観)
サカナの曲は全体的にキレイ。神かまはあえて歪ませたりする。
どちらもラブソングがほとんどない。
サカナは合唱を頻繁に取り入れている。神かまはヴォコーダーで賛美歌のような音を頻繁に取り入れている。
サカナは全部完成してからCDやiTunesで発売する。神かまはデモが完成した時点でYoutubeやブログに投稿する。
山口は文学や詩の造詣が深く、作詞においてはそういった言葉選びや言葉の美しさを重んじている。対して、大島は思いつくままに作詞する。

その他
山口は右利き、大島は左利き
山口はMac信者、大島はWindows信者
山口も大島も少年時代はイケてなかった(本人らの発言より)
山口は父親に厳しく音楽を指導されてきた。大島は楽器から曲作りまで全て独学である。
山口は大島を意識しているし、大島も山口を意識している。(配信でサカナの名前は頻繁に登場する)
お互いに、やや敵対している。
(某掲示板より)
山口:
「いい加減な奴がいい加減なことを歌う面白さもロックにはあるけど、 今、それを時代は求めてないと思う」 「音楽をバカにすることだったり、音楽を利用するだけの人に対しての敵意は 尋常じゃなくあって。そこだけは真面目でいたいって常に思ってるんですよ。 
“エンドレス”って曲はまさにそう」

大島:
235 名前:の子 ◆0u0/HaNako [] 投稿日:2011/10/03(月) 06:43:57.47 ID:+ExnTsRf0 [4/4]
こいつまじでぶっ殺してやろうか
ぼくなのかこれ?




すごく似ているようで全く似ていない。
この両者が今、邦楽シーンをアツくしている。

ドキュメンタリー映像
では、最後に両バンドのドキュメンタリーを載せておきます。


2011年11月9日水曜日

このストーリーはフィクションです。登場人物などは作者と一切無関係です。

とある病院にて、

医者A「・・・率直に申し上げます」
患者B「はい」
医者A「残念ながら、あなたの思っていたとおりの結果となりました。あなたは、鬱病です」
患者B「・・・はぁ、そうでしたか」

医者A「鬱病に関しては、お薬を処方して改善していくというのが一般的ですし、私もお薬をおすすめしてます」
「ただ、私の場合、ちゃんと個人の状態をふまえた上で、それに合わせた薬なり治療なりを処方していきます」「なので、少しお話させていただけますか?」
患者B「はい、どうぞ」

医者A「これまでにこういった検査は受けてこなかったですか?健康診断とかで一通り行っているはずですが」
患者B「鬱病だって診断されたら色々ややこしくなるだろうなぁと思って」「それに、毎回毎回、質問が(この2週間、死について繰り返し考える。YES or NO)とかだったんですけど、死について考えるのなんて昔からですし、僕は昔から無気力です」

医者A「昔って、どれくらい?」
患者B「んー、、、少なくとも中2のときからそんなカンジですかね」


医者A「中2って、その時なにかあったの?」
患者B「いや、特に」
医者A「そう。。。今、21だよね?中2から今までずっとそうだったってこと?」


患者B「そういうことになるんですかね」


医者A「自殺とかも考えたりしたことがある?」
患者B「それはないです」

医者A「これまで、無気力のせいで生活に支障をきたすようなことはあった?」
患者B「んー、、、毎日10時間以上寝るので、一日の大半を睡眠時間に費やしてしまうっていうことはあります」
医者A「昨日どれくらい寝た?」
患者B「どれくらいだろ寝たのが8時で起きたのが10時だから」
医者A「夜の8時から朝の10時?」
患者B「そうです」
医者A「14時間か」
患者B「いつもそのくらいかもしれません」「でも、エジソンとか天才肌の人も毎日10時間以上寝るって聞いてたんで、そこはポジティブにとらえてました」
医者A「起きた時に無気力だったりする?」
患者B「そうですね、だいたい何のやる気も起きません」
医者A「なるほど、なるほど」

患者B「でも、睡眠時間より対人関係で支障をきたすことの方が多いかもしれない」
医者A「具体的に聞いてもいい?」
患者B「基本的に僕、他人には無関心なんですけど、あまりにも空虚感に耐えられなくなったときは、無性に人を求めてしまうんです」「まぁ、それがどう支障をきたしたのかは言いたくないんですけど」

医者A「言いたくなかったら、話さなくて大丈夫だよ」「人を求めることは全然悪いことじゃないと思うし、人と触れ合うことで精神の安定は保たれるんだよ」
患者B「きれいごとにしか聞こえないんですけど、それは医学的見解ですか」
医者A「もちろん。医学的にはっきりと証明されているよ」
患者B「よく分かんないですけど、僕はプラマイゼロな気がします」「人と触れ合ってマイナスなことだってたくさんある、と、思います」
医者A「そういったことも含めて、トータルはプラスなんじゃないかな」
患者B「そうですか」

医者A「君はこういった精神的な悩みみたいなことを親に話したりしたことはある?」
患者B「ないですね、全く」
医者A「誰にも話したことはないのかな?」
患者B「数少ない友人になら、悩みというか愚痴みたいのを漏らすことはあります」
医者A「話して気持ちが楽になったりする」
患者B「一時的にはなるかもしれないですね」
医者A「一時的にということは、やっぱり空虚な気持ちとかは変わらないのかな」
患者B「そうですね」「あと、最近思うのは、そういう数少ない友達ですら、こういう僕の病が必要としただけであって、実は本当の「友達」じゃないんじゃないかって気がしてます」「結局、自分の病気がもたらす空虚感を埋めるためのものだったんじゃないかって」「そう、考えると、さらに虚しいですし、今まで僕が思ってた「友情」とかなんだったんだ?って話です・・・ほんとに・・・」

医者A「・・・君の友達がどう思ってるか分からないけど、少なくともお互いがにお互いに対して「友達」として何か惹かれるものを感じたんじゃないのかな」
患者B「じゃあ僕の病気が完治したとしても、僕はその友人を求めるってことですかね」
医者A「うん、そこは変わらないんじゃないかな」
患者B「だといいです・・・ほんとに」「てか、そもそもこの病気って完治するんですか」

医者A「完治した事例もたくさんあるよ。けれど、少なくとも半年近くはちゃんと病気と向き合っていかないといけないね」
患者B「はい」
医者A「でも、君の場合、こうして僕とも自分の精神状態について話せているし、生活状態もそこまで悪くないようだから、もしかしたら人より早く完治できるかもしれない」
患者B「僕はずっとこうなので、逆にこうじゃない自分が想像出来ないです」
医者A「大丈夫、きっと良くなります」
患者B「・・・」

2011年11月4日金曜日

全部正しいし、全部間違ってるんです、最初っから。なぜなら、僕は君だし、君は僕なのだから。

(世間→TPPの話)
僕は「浮世離れ」な存在だと思います。
世間のことなんかどうだって良くて、自分のことにしか興味ありません。
それは昔からずっとです。

東北大震災より、田園都市線が遅延する方が困るし、
ギリシャが破綻するより、冨樫が休載するほうが困ります。

そんなちっぽけな存在なわけです。


そんな僕は、
ある日、ワンセグで「朝まで生テレビ!」に遭遇しました。
その時、僕はチャンネルを止め、
見入ってしまいました。

「俺、なんでこの番組に興味持てないんだろう」って

興味なさすぎて、逆に興味出てきちゃったんです。
おかしな話です。

気づいたら、熱心に討論に耳を傾けてました。

そこでは、偉い人達がみんなで足を引っ張り合っていました。

「なんだこれ」、と。

ここで、「日本人はディベート力が弱いからね」とか言っちゃうやつは、
「周回遅れ」。

僕はホント歴史とか社会とか日本について無知すぎるけど、
「とりあえず、これ(今の日本)、なんとかしたいんですけど?」
って思った。ほんと、なぜか自然に。

その5秒後に「政治家になるか^@^」って思ったけど、
さらに5秒後に「なるまでがだるいや^@^」って思って終わっちゃった。

でもこれって、僕の中では、レベル0からレベル0.1への進化なわけです。
微々たる一歩ですけどね。


そいで、次はTPPの話。
中学時代割りとパッパラパーだった知人のFBのウォールに、
こんな動画があって。。。



そっからこっちに飛びました。



中野剛志。
なんだ、こいつ。カッコ良すぎる。
一貫してる。とにかく一貫してる。
多少誇張した表現もあるかもしれない。
それでも、朝まで生テレビの出演者とは違った「何か」を感じた。


(TPPに対する持論)
僕は知識もほとんど無いけど、
色んなものを見て感じて、
日本は「オープン」の程度をどこまで広げていくかを問われている
のだと思います。

そこが曖昧だから色々ごちゃついている。

この「オープン」という表現は我ながら非常に抽象的で、非常に投げやりな表現だと思います。
僕の「オープン」のイメージを完全に伝えることは難しいかもしれませんが、
なるべく表現してみたいと思います。


例えば、
競争による淘汰を良しとするスタンスは「オープン」です。
震災で被害を受けた東北を助ける、これは、「クローズ」(オープンの逆)です。
「失われた20年」という考え方は、「オープン」です。
原発は「オープン」です。
「トランスナショナル化する世界」は「オープン」です。
経済学は「オープン」です。なぜなら、国民の豊かさの指標にGDPを用いているからです。
自然は「クローズ」です。
渋谷のセンター街に並ぶチェーン店は「オープン」です。
日本という島国は本来「クローズ」だと思います。


なんか、宗教みたいなこと言ってますね、僕。笑

とりあえず、日本は鎖国から開国して、
ズルズルと割と「オープン」にしていこうというスタンスで進んできました。
中途半端だったけど、日本人は優秀なもんだから、中途半端にうまくいっちゃったんです。

日本人全体が「オープン」のスタンスになったら、
アメリカなんて目じゃないと思います。本当に。
WBCで日本代表全員が「オープン」になって優勝してたでしょ?
(まぁ「オープン」の中にも「クローズ」のある究極的なチームだったから勝てたんだろうけど)
だけど、日本全体が「クローズ」を捨てて「オープン」にったら、それはそれで日本じゃないような気もするけど。

日本の問題は
「オープン」で行く?「クローズ」で行く?
どうしよっか〜。
で進んできていることです。

いや、まぁそれが日本らしいって言ったら日本らしいのかもしれません。

僕は、「オープン」の極論は
「均質化」だと思ってます。

勝てば、絶対数が増える。
同じものの絶対数が増えるから均質化していく。

松屋が勝利したから、
都内に松屋がたくさんできた。

人類は生物界で大勝利して、地球を占領した。
その結果、地球は人類で均質化された。

なんか自分で書いててカルト的だなって思ってますけど、
そんなんです。

僕は、均質化より、多様化が好きだし、多様化のが強いと思います。


書いてて持論が発散してきたので、
収束させます。

僕は、TPP級の「オープン」には反対です。

みなさん、どう思いますか。
コメントください。

2011年10月21日金曜日

おとなおとなおとなこども



最近なんか人にイラつくことが増えた気がしていた。
なんだか、よくわからずイラついてた。

自分なりに、
周りが「大人」になっていくことにイラついているのかもしれない。
と、解釈した。


どいつもこいつも良い顔しやがって!みたいな。
自分に正直になれよ!みたいな。


本当に自分はガキだなと思う。
でも、いつまでもガキでいたいとも思ってる。



みんなが正しいんだと思う。
本心を出して、相手を不快にするのとかホント馬鹿だと思うし、
好き嫌いとかで物事決めるのも良くない。


自分は、
色んな人と協力して、とか
色んな人とうまくやってく
みたいな部分がもの凄く未熟なんだと思う。
いや、未熟というより、ただ天の邪鬼なだけかもしれない。

苦手な人がいたら避けちゃうし、
好きな人がいたらやかましいほど気になるし。


ちょっと話が変わるけど、
「お互いに罵り合いながら心の底では尊敬し合ってる」みたいな究極の関係性が僕は好きです。
でもその究極の関係性を築くには長い年月がおそらく必要で、
初対面の人を不快にさせちゃったら元も子もない。
大人はきっとそうやって計算しながら、自分をある程度取り繕っていく。



どんな相手にも不快なくらい素直でいたい。

2011年10月11日火曜日

wwwじゃなくて、www。

(バスケの話)
就活終えたあたりから、バスケ熱(プレーする方)が沸々と沸いてきてる。
高校の同期と作ったチームだけじゃなくて、たまに社会人のチームにもお邪魔したりしてる。

高3の時からは飛躍的に「うまくなった」と思う。
「うまくなった」っていうのは語弊があるかもしれないけど、
どんな相手であっても自分の持ち味みたいのは出せるようになった。

高校の時とかはホントに試合が嫌いで、シューティングのが好きだった。
単純に試合で活躍できる自信が全くなかった。
メンタル的に終わってた。

それが、大学に入って、
コーチやって、バスケがほんの少し分かって、
わたなべで高いレベルのバスケを経験して(試合そんな出れなかったけど)
こしかわではお馴染みの仲間とちょいガチでやって、
それ意外にも色んな環境でバスケをして、
自信が持てるようになった。


こんな文章を書くなんてよほどのバスケナルシストだなと
自分でも思います。僕はかなりのバスケナルシストです。いつもプレーしながら自分のプレーのことを必要以上に考えてます。

というか、バスケットボールプレイヤーは皆、バスケナルシストだと思います。
絶対、自分のプレーに酔いしれてると思います。
でなきゃバスケなんて上手くなりません。
ジョーダンとか、半端ないと思いますよ笑
街角で5秒に1回鏡みる奴くらいナルシストですよ、彼は。


あんなキツくて、難しいスポーツ、
自分がプレーしていることが大好きじゃなかったらやってられっか!って話です。



まぁ当面の個人課題は、
ハーフコートオフェンス(組織的な動き)

ディフェンス
です。

特にディフェンスは苦労してます。
僕みたいなひょろひょろはオフェンスならファールがもらえますが、
ディフェンスだと吹っ飛ばされて終わりです。
頑張ろう、俺。



(戸川純の話)


割とナメてたんですが、彼女は歌唱力も十分あって、
それでいて色んな歌い方があるから、かなり魅力的なアーティストです。

上の動画でも、
最初はなんだこのヘンテコポップソングはってカンジでしたが、
後半の「戸川の本気」を聴いて、痺れました。



ライブの後半のサビのとことか、
シルヴィ・ヴァルタンを彷彿とさせる歌唱力だよね!!☆
ビビッときちゃった。



聴き比べてみなよっ!☆

2011年10月6日木曜日

毎度毎度ありがとうございます人生。

夜夜夜


寒さってのはいいやつじゃないけど、
その分、そんな中で安心感与えてくれるよね。

いっちょういったん。





#%#昔のみんなと再会したんだ#%#
楽しくて楽しくてなんだけど))
どんどん大人になってく僕らは停めてくれーっって思ちゃった。



素直な感情を素直に表現するkとが、
自分を解放する第一歩。
なにも抑圧すべきじゃない。

だけど、人間界ではちょっちデリカシーとかも気にしなきゃなんないからね。
そこがめんどくさいんだけど、
大事なんだよね、
人間性が出るんだろうね。





ととととtにかく”””
パソコンtpお香があれば僕あh氏会わせなんだって気付きました/

2011年10月1日土曜日

ハンカチ落とし

(基礎の詰め込み)
勉強、語学、音楽など人が何かしらの技能を身につける時、
最初に基礎の詰め込みは避けて通れないものだと思います。

僕は割とこれが苦手なようです。
逆にここを乗り越えれば、その後の応用は試行錯誤で大概うまくゆきます。


人は好きなことに対して自然に夢中になって、
そこで並々ならぬ集中力を発揮して、不快感とか嫌な思いは一切せずに
そのことを修得できるような気がしてました。
そして、それが理想型だと思ってました。

要するに、キャプテン翼で翼くんがボールと遊びながら友達になり技を磨いていったような形です。


ただ最近は、そんな形では何かを一人前に身につけることは不可能な気がしてきました。
最初の基礎の詰め込みで嫌な思いとかを乗り越えなきゃいけない気がするんです。


なんでそう思ったかっていうと、
自分の過去に照らし合わせてみたからです。


バスケにしろ英語にしろ、自分が人より身につけられたと思うものは、
最初の基礎の詰め込みをしっかりやってきたものです。
そこには苦痛や辞めたい逃げたいというネガティブな感情もありました。


英語はそれが顕著でした。
僕は洋楽とかを聞いていて、それなりに英語はできていたつもりなんですが、
ある時から成績が下がり始めて、やべぇってなって。
そいで、グノーブルっていう塾に駆け込み寺みたいなカンジで高2の終わりから入って、
どうせフツーの塾だろって舐めてました。

だけど、中山先生という方がそれはもう厳しい人で(めちゃくちゃいい先生ですが)、
毎回の小テストで死ぬほど凹んで、でも容赦なくて、
僕は毎回毎回、授業の前に憂鬱でした。
塾に歩いていくと、脳みそん中でグワーンという嫌な感覚が毎回襲ってきました。

それでも、耐えて
馬鹿みたいに単語復習して、
馬鹿みたいに音読して、、、

そしたらいつの間にか英語ってものの形が見えてきて、
あとはなんでもかかってこいみたいなカンジになったんです。



僕は今ピアノ(キーボード)を弾けるようになろうとノロノロやっているのですが、
そういう意味で基礎の詰め込みができていないから、全然「ピアノを弾く」ということの形が見えてこないんです。
形の見えない敵と闘っているわけです。

ということで、ピアノの基礎の詰め込みをしなきゃあかんなぁという話です。





(バスケの話)
僕は世界でスペイン代表のプレーが一番好きです。
決して身体能力がそこまで優れているというわけではないが知性とチームの連携が抜群に優れ、個々が役割以上をこなすことで芸術的なプレーを表現してる。
強いし、上手いし、観てて面白い。

バスケだけでなく、サッカーも芸術的です、スペインは。
なんなんでしょう、あの国は。






(片付けるべき物事)
どんどん溜まってく。
直感直感で過ごしてたら、山積みになってた。
それをさらに直感で片付ける。
かかってこい。

2011年9月24日土曜日

ただ鍵盤が鳴り響くばしょで




ぼくを護ってくれる透明な箱
きづいたら分厚くなってた


いつも中にいるのを忘れちゃうんだ


好きなおもちゃしかないんだ


箱から抜け出すといっつもボロボロになるよ
二度と箱から出てやんないって


きづけば箱は蝕まれてた
全然きづかなかった


もう箱から出れない
なんなんだよ、これ



2011年9月13日火曜日

どうせいつか死ぬんだから

モラトリアムが終焉を迎えようとする中、
先人達は口を揃えて、
「今のうちに海外旅行に行くべきだ」
と言います。



しかし、このアドバイスを素直に受け入れることができない自分がおります。

なぜかをこれから、
感覚的かつ、わかりにくく説明いたします。

まず、時間というのは感覚で無限にも0.000000001にもなりうる不思議なものなのです。

極端な例ではありますが、仮に寿命が2万年だったとして、あと2万年も生きれるのだからとダラダラ一ヶ月旅行するのであれば、
寿命が10年で1日しっかり旅行したほうが良いのではないかと思ってしまうのです。


もちろん、高い志で長期間旅行するのがベストですが、
今の私にそんな志を保って旅行できる気概はありません。
まぁあくまで個人的な感覚の話です。


時間を創りだすものというイメージでしょうか。
今の僕は時間を創りだすという意識がありません、
そこに時間があっても時間を創りだそうとしないので、

結局、自分の今したいことをすべきだという結論に落ち着いてしまうのです。
そこに時間の条件はあまり関わってこないわけです。

いや、自分で説明していて逆に分からなくなってきました。
要は、怠けてるだけですね。






(ブログほぼ1年記念)
いやーめでたい。
これに関しては自分に拍手したいです。
駄文ばかりですが、それでも定期的に更新し、
「今」を表現し、残したことに
意味があります。


当初の目的とはだいぶ変わってきた感も否めませんが、
これでいいのです。


コメントが全くなくたって
誰も読んでいなくてって
馬鹿にされたって
これでいいのです。


いつかの誰かの読んでくれる人に向けて
書いているのです。

死んだら、このブログが遺書です。


あ、ついでに書いておくと、
僕が死んだら葬式では神聖かまってちゃんの「夜空の虫とどこまでも(2011年02月25日ももクロ×神聖かまってちゃんLIVE ver)」を大音量で流してください。

2011年9月10日土曜日

坂本龍一と久石譲

高1の時、情報の授業で作った、学校CMです。


この動画は班で5人くらいで作ったのですが、
たしか締め切りギリギリになって即行で仕上げた作品です。

僕と友人がアイデアを提案して、
ほぼ二人だけで仕上げた作品です。


全クラス合わせてたしか60近くの作品があったんですが、
どれもこの作品には及ばなかったと思います。

はい、完全に自己満です。
嫌なやつです。


なんでこんな昔の話を掘り起こしてきたかと言うと、
今、映画と言えないような映画を作っていまして、

僕は自己満でもいいから、
あの時みたいに、
やってやったぜ!
っていう感覚を味わいたくて。



いや、なんなら既に
やってやったぜ!とは感じてるんです。
やってやったぜ!っていうシーンが既にあるので。

だけど、15秒CMとは違って、
いくら1シーンがうまく行こうが、
全体として仕上げるには到底及んでいません。

途中の段階ですでに天狗なわけです。


きっとこれは僕の頭の中だけじゃできない。
突発的でユニークでハッとするような演出が必要だ。
そう、彼の力が。





(坂本龍一の発言)

― 恋愛が創作活動に影響を及ぼすことはありますか?
「それは創作に限らず、男の仕事の根底にあるのは、そういう性的な欲求ですよ。これは動物全てに共通することですが、名声欲、出世欲、ステータス欲、金銭欲、これらの欲求全てにおいて根本にあるのは、『オスとして際立って、異性の注目を集めたい』ということです。もちろん自覚がない人もいるとは思いますが、この点においてはみんな一緒ですよ。」

こんなこと言われたらなんか虚しくなってしまいますよね。
音楽や芸術が結局バトンランナーの一作業にしか過ぎないなんて。

キレイゴトかもしれないが、僕は
音楽や芸術てものはそういった動物的なものを超えた自分と向き合う作業のように捉えてきていた。
それを真っ向からスパッと切られてしまった。


龍一氏の発言が正しい正しくないは別としても、
結局僕ら動物でしかないみたいなところも絶対あると思う。

でも僕ら人間は動物とは違うんだ、もっと崇高な生き物なんだって示したがる気がする。



本日は清らかな音楽と共にお別れしたいと思います。

2011年9月5日月曜日

7.56

結局、困難を乗り越えて得た物が一番素晴らしいのです。

どんなに人からくだらないことだと思われても本人が情熱と努力を注ぎ込んだものにはそれだけの価値が生まれるのだと思います。


僕は今まで、何か困難にぶち当たったり、努力が必要とされている時、

どれだけ効率的に、省エネで頑張れるかを考え抜いてきました。たぶん。



マラソンで言うなれば、
体力をつける努力は一切せず、
どれだけ体力を使わない走り方ができるか考えてきたのです。


そのやり方では、
結果は同じでも、
そこに生まれる価値は小さくなってしまうのかもしれません。





(単位の話)
成績が発表され、前期で卒業単位を修得できていた模様です。

本当に色んな人の力を借りて(特に坂井)
単位を修得することができました。

本当にありがとうございました。
今度は何かしらのカタチで恩返ししていきたいと考えています。

まお世話になった人達はこの記事を読んでいないかもしれませんが。



(とある少女の話)
その少女はライブが始まるまで数学のノートをじっと見つめていました。
ワンピースにショートヘアで、すごく細くて神秘的な子でした。

ノートには合同式のmodが書かれていました。

なんだか今日ふと、その子を思い出してしまったのです。


2011年9月1日木曜日

模倣と創造

僕は小さい頃から甘やかされて育ったせいか、
人に怒られると必要以上に凹んでしまうようです。


まぁそんなんどうでもいいや。







鳥居みゆきにしろ、
の子にしろ、
戸川純にしろ、

それは第一印象から惹かれていったのではなく、
むしろ多面的にその人物を知っていく過程で引き込まれていった気がします。

いや、「多面的にその人物を知っていく過程」というのはかなり違ったニュアンスだな。

言うなれば、その人を知れば知るほど、良い意味で裏切られていくような感覚。
それで結果的にその人物を多面的に知れるというカンジかな。


シンプルだけど深いところに価値基準があって、
一見バラバラなのに
裏では1mmの狂いもなく規律のとれているような。




インターネットというのは、
他人を深く知るきっかけを与えてくれました。


だから本当に支持される人は支持されるし、
薄っぺらい人はすぐに矛盾が生まれて、支持されなくなります。


時代がより「真実」に近づこうとしているのかもしれません。
インターネットなんて表面的なものが「真実」を促しているとすれば、
それはとても面白いことだと思います。


ソーシャルやインターネットはあくまでリアルをより鮮やかにするものでしかない。
という考えに変わりはありませんが。



兎にも角にも、「真実」の発信には勇気が伴うようです。
ブログを更新をするのだって、小さな小さな勇気が伴うわけです。


2011年7月31日日曜日

こんにちわっ!

mだmだ迷走ちゅう。
なにすりゃいいんだぼkaxa。。。phonと

あるふれっどあどlarさんはただしくたって
ひとにこうけんするためdakkeじゃ
だめなんじゃne-katte思い始めている

まずいのちをかけられるもんがあって、
それをdouひとに還元出来るかってとこなきがするんfa

iya:@
kore#a3NoKoのinnyo--になっちまってるんだけども。


D%itumo K%itumo
kutiB!!!kaで
tuyuittyuに
僕はすげーぞ私はすげーぞって!
そんなんでShiNNNでくんかキミタチハ$


BOkAAそnなんZい#なんだ!!(000)

そんなんで死んでく'''nara
ぼくはGi||¥門時等していくだけで慎でいったってeto念ってる。


default Riisk、borattteieeeritiiieee、資源エネルgyyyy
kIMiswaSonnna"mono"のためにbumereてきたのかよ!###!$$????]]]


muvgoけよオく"""#
muoeoけYOooooooooooooooooooooooooooooooooooooooo'$%6''88&&444000&

2011年7月24日日曜日

ばいばいミルク

ぼくはさいごまで
きみにはすかれはしなかったかもね

たまにぼくのとこにきて
寝たりして
ふらふらと気分屋なきみ。


この世に生を受けたものは死を迎えるのが世の定め。

ぼくたちはきみにひどいことをしてしまったんじゃないかって
いまでもおもっているんだ
きみは最期までじゆうじゃなかった

ぼくらがそうさせていたんだ
ぼくらのえごにつきあわせてしまってごめんよ
ぼくはきみがこどもたちに囲まれて
死んでいきたかったとおもうんだ

よくわからないにんげんという生物のいえで
よくわからないやつらにかこまれて死んでいきたくはなかったんじゃないかって
ざいあくかんでいっぱいさ




ずっとまえにきみがやたら僕らの前から姿をけすから
死ぬんじゃないかとしんぱいしたことがあった。
ねこはしぬまえに姿をけすときいていたから


でも結局きみはぼくらのまえから姿をけすことなく
しんでいった。

つめたくつめたく
しんでいった。

くちがとてもつらそうで、
ぼくはきみを見ていられなかったよ。

きみにはさんざん噛まれて
ひっかかれて
ひどいめにあわされたなぁ、ほんと。

だけど、それでもぼくはきみのことが大好きだった。
きみにいくらきらわれようとも
僕はきみがだいすきだったのです。
ちかづいてもにげられる、
それでもいつだってぼくはきみにちかづいていきました。

さぞいやなやつだったかもしれません。
なでてるだけで噛むのだもの。


むかしは兄貴になついてたのに
あにきが日本をはなれたらすぐ忘れて
ほんときみってやつは勝手なやつだ


きみはきょう灰になって
つちにかえった

そしてまたうまれかわるんだ

つぎはにんげんのいえなんかにうまれずに
ひろい大自然のなかでくらすといい
それがいちばんしあわせだとおもう


ぼくはもうねこなんか飼わないよ
きみがさいしょでさいご
だからそのぶん
きみのことはぜったいわすれないからね

2011年7月20日水曜日

神経衰弱

意味の無いことに神経を費やして疲弊する。
だからその分、毎晩ぐっすり寝て回復する。

考えすぎだとか、
気にしすぎだとか、

そんな風にもいえる神経の使い様。


だけど、そういった感度があることで
人と違って世界を見れるのなら、

疲弊なんざ厭わない。




歩いたら歩くだけ死ぬ確率はあがる
とりあえず 歩かなきゃ
人間はどうせ死ぬ

2011年7月4日月曜日

存在と無

(関西の話)
大阪と京都に行ってきました。
とある用事ついでに観光してきました。



大阪では、ぐるなびでうまいランチを探して、
行ったらもう売り切れてて、(ぐるなびにも早く行かないと売り切れるって書いてあった)
仕方ないから
同じビルの
店に入った。

カレー定食の看板を頼りに入ったら
くそ狭いバーみたいなとこだった。

おばあちゃんが料理してて、
若者男女4人がカウンターに座ってた。

店に入るなり、
一同こちらをギョロリ。

いやいや、ランチに店に入っただけやないか。

そいで牛すじカレー定食を頼む。
味はフツー。600円だし。

社交モードONにして、
若者男女およびおばあちゃんと話す。
東京から来たんですよ〜、みたいな。

ふつーに良い人たちだった。

帰り際に
おばあちゃんがタケノコの里をくれた。

今度大阪にきて暇ならまた来てやるかと思った。




京都。
荷物をコインロッカーに預け、

手ぶら
バスパン
バスケシャツ
Crocs
チャリ

という最強装備で地元民に扮する。

京都駅→嵐山→金閣寺→いいちょ(ラーメン屋)→下鴨神社→鴨川デルタ→京都大学→河原町→壱蔵(ラーメン屋)→祇園
すべてチャリで回った。
こんがり日焼けした。


下鴨神社





途中、金閣寺の前で休んでたら、
自販機の前で外国人女性がジュース買えなくて困ってて、
大丈夫ですか?みたいなかんじで話しかけた。
お札がぬれてて入らないのだと。

~日本語字幕~
俺:お金貸しますよ(あげますよ)
キャロル(仮):いやいや、それは悪いって
俺:んー、そうか
キャロル:あ、お札交換してよ。
俺:あ、それだ。
キャロル:ありがと。
俺:なんでお札ぬれてんの?
キャロル:鞄の中で水がこぼれてた
俺:あーなるほど
キャロル;ありがと。
俺;どういたしまして

後から考えた、
もし外国人ではなく、
日本人が自販機の前で困ってたら、俺は同様に助けていたのかと。
キャロル(仮)が周りに頼れないということはあったにせよ、
俺に英語試してみるか!みたいな気持ちはあったと思う。
英語で観光客に対応してる自分に酔ってるみたいな。
マジで小せぇと思った。

日本にいると、
英語=能力 なんだよな
でもホントは
英語=言語

英語がちょっとできるだけで自惚れてる自分。
本末転倒。英語を使って何かを成し遂げて初めてそこに価値が生まれるのに。
まぁでも今回は困ってる外人助けたから一応価値はあったのか。

動機が問題だったんだな、動機が。




(サルトルと旅行の話)
僕らはまず存在して、
そこから存在していることの意味を考える。

つまり、意味の前に存在がくる。

目的の意味を考えて、何かを行動するのも大事だけれど。

何か行動して、そこから意味が派生していくことも十分にあるのかもしれない。


いまの自分は海外旅行に行くことに対してそこまで価値を見出していない。
金一瞬で消えるし、時間も消える。
なんのためにそこまでして行くの?ってかんじ。
行きたいけど。
もちろん、今くらいしか行けるときはないのかもしれないけど。

だけども、
目的はなくとも、
海外に旅行してみることで何かが生まれるかもしれない。


夜中は自分が何行ってウrかわかんなくなるな。

2011年6月29日水曜日

バタフライ・エフェクト


映画です。
なんかこの映画は見終わってグワーっとくるものがあったんです。
そう、心の底からグワーっと。

ネタバレになるかもしんないんで細かくは言いませんが、とにかくグワーっときたんです。


そいで急に怖くなってしまったんです。
今の自分に満足できなくなって。
もしかしたらこっから破滅に向かってくんじゃないかって。

Paranoid.


まぁ何が言いたいかって言うと、
今の自分の1つ1つの行動が人生を左右していて、
それと同時にその人生というのはそういった1つ1つの偶然が積み重なって起きた素晴らしいものであって、、、

そういうことです。
僕がここに存在していることがそもそも奇跡で
その一方で、
この今の僕が未来を支配していて
この矛盾した2つが両立してるわけなんです。


いや、これってすごい当たり前のことの様にも思えるんですけど、
すごいことだと思うんです。





放課後僕と君
掃除当番同士少し喋りました
優しくしようとして先帰っていいよ
なんて言っちゃいました また僕は

このバカ野郎この野郎っ

2011年6月14日火曜日

ダラスというチーム


ダラス・マーベリックスが優勝しました。
レイカーズやスパーズが優勝した時はなんとも思わなかったけれど、
今回は優勝が決まって泣きそうになった。

チームを10年近く引っ張ってきたエース、Nowitzkiは
ここまでホントに長い道のりだった思う。

メンタルが弱いとか、勝負所で弱いとかさんざん言われてきて、
今日の前半はとても不調だった。
しかし、チームは彼を信頼し、
彼はチームに応えた。
実力で示したんだ。

自分の力で、夢を叶えた。
何度も惜しいとこで敗れてきたけど、
気持ちを切り替えて毎シーズン諦めずに取り組んでた。

こういったことが本当に僕を励ましてくれる。

「本当にすごいことを達成しようとしたとき、そこには大変な苦労がある」
byマーク・ザッカーバーグ

彼はただ
Facebookというアイディアを思いついて、
パッとプログラムコードを書いて、
億万長者になったわけじゃないんだ。
そこには見えない大きな苦労がある。

Dirkもきっとそうだっただろう。


話は変わるが、今年のダラスは能力的にそこまで恵まれたチームではないと思っている。
Nowi、Terryは個人である程度やりくりできるが、
それ以外はホントに一人じゃなにもできないプレイヤーばかり。
Barea、Marion、Kidd、Chandler。。。

それでもチームとしての完成度は高かった。
本当に強いチームだった。



こういった感動を与えられる人間になれるよう少しずつ成長していきたい。