自己紹介

自分の写真
tokyo, Japan
パソコンとお香があればだいたい幸せです。

2012年6月28日木曜日

模倣③



なんだかんだやり直しまくって、結局3時間。
不甲斐ない演奏ですが、どうぞ。

所詮模倣ですが、耳コピで頑張りました。

2012年6月25日月曜日

模倣②



「完璧を求めるより、まず終わらせろ」
ってことで。

Oasisしばり。

2012年6月24日日曜日

おいおい著作権

著作権に関する法改正案が可決されたようです。

「音楽をすべての人々に」みたいなスローガンを掲げてる音楽業界がそれと真逆のことしてる。

技術進歩に対して、既得権益層が権利を主張するのは醜い。

新技術をつぶす方向ではなくて、うまく利用する方向に頭を切り替えてほしい。

そんなんじゃ人類は進んでかない。


昔ブログに貼付けた動画もどんどん削除されて。。。
やっぱり「創作物とお金」というのは折り合いが難しいなぁ。


2012年6月21日木曜日

じぇねれーしょん→私事

世代には「色」がある。
そう感じる。

上の世代を僕らは塗り替えて、ぶち壊していかなければならない。


よく言われる「創造と破壊」。


産業、経済、芸術、技術、すべてに通ずる。


もちろん個にもいえる。

細胞単位でもいえる。


普遍的だと感じる。




過去をぶち壊し、未来を創造しようとする瞬間こそが「生」なんだろう。

とかく僕らは未来を考えすぎる。
未来を創造するのではなく、現在を守り、未来を守ってしまう。


僕は未来を創造することに決めた。
しかし、正直に言えばまだ過去をぶち壊すことにまだ躊躇している自分もいる。

「いや、待てよ、ひょっとして一時的に俺は頭がイカれてるんじゃないか?」とか。


ただ、僕が今まで採ってきた選択の中で、
僕が納得できていないものの大半は、
未来を守ろうとして破壊しなかった選択だと思う。


人間は無駄に賢いから、未来を守ろうとしてしまうんだ。
Jobsの言う、「Stay Foolish」というのは、たぶんそういうこと。



ただ、こんな言葉の羅列に何の意味もない。
だから僕は自分で実際に過去を破壊して未来を創造していくことで、
示していく。

2012年6月12日火曜日

とあるマンションの4階にて

「ただいま」
「。。。」
「りか、今日部活は?」
「休んだ」
「サボり?」
「。。。」

「お前さぁ、汚したら片付けろよな」
「後で片付けるからっ」
「つかどんだけチョコ食ってんだよ」
「。。。」

「チャンネルどこ?」
「ソファにない?」
「あ?あった」

「塾もサボるつもりか?」
「わかんない」
「行かないなら、やめちまえよ。行かなくても、お前頭いいんだし」
「お父さんにやめるなって言われた」

「お前大会近いんじゃねーの?」
「どうせ出ないもん」
「楽しいか?部活」
「つまんない」
「だから卓球なんてやめろって言ったんだよ」
「卓球はつまんなくない」
「じゃ、なに?」
「。。。」「みんな、めんどくさい」
「・・・」


(日頃の感謝を、チョコレートに込めて、、、チョコレートはLOTTE)
「あ、明日バレタインか」
「私、卓球がしたくて卓球部に入ったわけじゃないの」「ただ独りが嫌で自分に似た友達が欲しかったの」
「・・・」


(自動車保険でお悩みの方は/内のとある路地裏にひっそりと/パートの地下1階、)
やっぱり私誰かを知りすぎると嫌になっちゃうみたい。八分目がちょうどいいみたい」
「・・・」
「昔はね。戯れてなんかやるもんかって。自分から独りになってた。」「
ずっと一人でいたの、中学3年生まで。一人でいると、一人が淋しいじゃなくて、一人でいてやるんだっていう気持ちを無理やり作ろうとして、そうすると、人より上行ってる感じになってるから・・・ それって一番淋しいことなの、淋しいことを「淋しい」って言えなかった。
(レンジャーズ戦に先発で登板、相手には)
「独りに慣れすぎて、気づいたら寂しいとすら言えなくなってたの私」「でもやっぱりダメみたい、私。独りの方がいいみたい」
(満塁で早くもピンチを)
「・・・バカみてーに悩んでんじゃねーよ。いつもみたいにクールにさらっと流せよ」
「クールにさらっと流してたから、こうなったの」
(ームは残念ながら、)
「どうしたいんだ?」
「学校やめたい」
「やめてどうすんだ?マジで俺みたいになるぞお前」
グダグダ悩みながら生きるならお兄ちゃんみたいに淡々と生きてたいわ」
「淡々とって、フリーターだって悩みめちゃくちゃあんだぞ」
「知ってるわよ」「またバイトやめたんでしょ」
「!」「なんで知ってんだ?」
「マネージャーって人から留守電入ってたわよ」

(続くはイチロー、今日は)
「え・・・うそ」

2012年6月10日日曜日

Gogh

   And - my plan for my life is to make paintings and drawings, as many and as well as I can - then, when my life is over, I hope to depart in no other way than looking back with love and wistfulness and thinking, oh paintings that I would have made! 





2012年6月5日火曜日

ぶちあたる壁はいつだって自分

すごいどうでもいいんですけど、
FacebookとかTwitterのSNS類をやめました。

連絡先も、
人脈も、
写真も、
思い出も、
全部消えちゃったわけですが、たいしてなんとも思っていません。

Facebookでしか連絡をとれない人とかもいるわけなんですけど、
まぁ今の世の中、コンタクトを取ろうと思ってその気になれば誰にでもいくらでもとれるわけで。

海外で知り合った人は若干むずいかもしんないけど。


で、これからもおそらくなんでやめたの?とか聞かれるんだろう。
めんどくせ。

ごにゃごにょごにゃごにょ//////

まぁいいや、何が言いてんだろ俺。



2012年6月2日土曜日

これから

辛いことがたくさんあるだろう。

でもこれでいい。

ここからだ。

2012年6月1日金曜日

いま

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バーチャル上のみなさん、お久しぶりです。


トマトが食べたいって言うことと、
トマトが食べたいって思うことは大きく異なります。

それはブログも同じなんです。

だから、書かないことも多くなってしまうのです。


【自己限定について】
「私は◯◯だ」と言うことは、
自己をある意味限定したことになる。

僕はこういう類いの発言をすることが嫌いだ。

自分は自分でしかないし、
どういう人間かは、人によって解釈が異なる。
目の前の自分をありのまま受け入れてくれたらいい。

自分が自分を客観的に見た自分など、
知ったところで、
自分が本当にどういう人間かなど分からない。
自分が自分をどう思っているかは分かるが。


しかし、世の中では

「自己PRをしてください」
「あなたは周りの人にどういう人だと思われていますか?」
「お前ってどんなキャラなの?」

という質問がはびこっている。


こういう質問を平気でする人は、
こういった感覚がないか、
もしくは時間をかけて相手を理解するのが面倒くさいか、だろう。





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