自己紹介

自分の写真
tokyo, Japan
パソコンとお香があればだいたい幸せです。

2011年9月24日土曜日

ただ鍵盤が鳴り響くばしょで




ぼくを護ってくれる透明な箱
きづいたら分厚くなってた


いつも中にいるのを忘れちゃうんだ


好きなおもちゃしかないんだ


箱から抜け出すといっつもボロボロになるよ
二度と箱から出てやんないって


きづけば箱は蝕まれてた
全然きづかなかった


もう箱から出れない
なんなんだよ、これ



2011年9月13日火曜日

どうせいつか死ぬんだから

モラトリアムが終焉を迎えようとする中、
先人達は口を揃えて、
「今のうちに海外旅行に行くべきだ」
と言います。



しかし、このアドバイスを素直に受け入れることができない自分がおります。

なぜかをこれから、
感覚的かつ、わかりにくく説明いたします。

まず、時間というのは感覚で無限にも0.000000001にもなりうる不思議なものなのです。

極端な例ではありますが、仮に寿命が2万年だったとして、あと2万年も生きれるのだからとダラダラ一ヶ月旅行するのであれば、
寿命が10年で1日しっかり旅行したほうが良いのではないかと思ってしまうのです。


もちろん、高い志で長期間旅行するのがベストですが、
今の私にそんな志を保って旅行できる気概はありません。
まぁあくまで個人的な感覚の話です。


時間を創りだすものというイメージでしょうか。
今の僕は時間を創りだすという意識がありません、
そこに時間があっても時間を創りだそうとしないので、

結局、自分の今したいことをすべきだという結論に落ち着いてしまうのです。
そこに時間の条件はあまり関わってこないわけです。

いや、自分で説明していて逆に分からなくなってきました。
要は、怠けてるだけですね。






(ブログほぼ1年記念)
いやーめでたい。
これに関しては自分に拍手したいです。
駄文ばかりですが、それでも定期的に更新し、
「今」を表現し、残したことに
意味があります。


当初の目的とはだいぶ変わってきた感も否めませんが、
これでいいのです。


コメントが全くなくたって
誰も読んでいなくてって
馬鹿にされたって
これでいいのです。


いつかの誰かの読んでくれる人に向けて
書いているのです。

死んだら、このブログが遺書です。


あ、ついでに書いておくと、
僕が死んだら葬式では神聖かまってちゃんの「夜空の虫とどこまでも(2011年02月25日ももクロ×神聖かまってちゃんLIVE ver)」を大音量で流してください。

2011年9月10日土曜日

坂本龍一と久石譲

高1の時、情報の授業で作った、学校CMです。


この動画は班で5人くらいで作ったのですが、
たしか締め切りギリギリになって即行で仕上げた作品です。

僕と友人がアイデアを提案して、
ほぼ二人だけで仕上げた作品です。


全クラス合わせてたしか60近くの作品があったんですが、
どれもこの作品には及ばなかったと思います。

はい、完全に自己満です。
嫌なやつです。


なんでこんな昔の話を掘り起こしてきたかと言うと、
今、映画と言えないような映画を作っていまして、

僕は自己満でもいいから、
あの時みたいに、
やってやったぜ!
っていう感覚を味わいたくて。



いや、なんなら既に
やってやったぜ!とは感じてるんです。
やってやったぜ!っていうシーンが既にあるので。

だけど、15秒CMとは違って、
いくら1シーンがうまく行こうが、
全体として仕上げるには到底及んでいません。

途中の段階ですでに天狗なわけです。


きっとこれは僕の頭の中だけじゃできない。
突発的でユニークでハッとするような演出が必要だ。
そう、彼の力が。





(坂本龍一の発言)

― 恋愛が創作活動に影響を及ぼすことはありますか?
「それは創作に限らず、男の仕事の根底にあるのは、そういう性的な欲求ですよ。これは動物全てに共通することですが、名声欲、出世欲、ステータス欲、金銭欲、これらの欲求全てにおいて根本にあるのは、『オスとして際立って、異性の注目を集めたい』ということです。もちろん自覚がない人もいるとは思いますが、この点においてはみんな一緒ですよ。」

こんなこと言われたらなんか虚しくなってしまいますよね。
音楽や芸術が結局バトンランナーの一作業にしか過ぎないなんて。

キレイゴトかもしれないが、僕は
音楽や芸術てものはそういった動物的なものを超えた自分と向き合う作業のように捉えてきていた。
それを真っ向からスパッと切られてしまった。


龍一氏の発言が正しい正しくないは別としても、
結局僕ら動物でしかないみたいなところも絶対あると思う。

でも僕ら人間は動物とは違うんだ、もっと崇高な生き物なんだって示したがる気がする。



本日は清らかな音楽と共にお別れしたいと思います。

2011年9月5日月曜日

7.56

結局、困難を乗り越えて得た物が一番素晴らしいのです。

どんなに人からくだらないことだと思われても本人が情熱と努力を注ぎ込んだものにはそれだけの価値が生まれるのだと思います。


僕は今まで、何か困難にぶち当たったり、努力が必要とされている時、

どれだけ効率的に、省エネで頑張れるかを考え抜いてきました。たぶん。



マラソンで言うなれば、
体力をつける努力は一切せず、
どれだけ体力を使わない走り方ができるか考えてきたのです。


そのやり方では、
結果は同じでも、
そこに生まれる価値は小さくなってしまうのかもしれません。





(単位の話)
成績が発表され、前期で卒業単位を修得できていた模様です。

本当に色んな人の力を借りて(特に坂井)
単位を修得することができました。

本当にありがとうございました。
今度は何かしらのカタチで恩返ししていきたいと考えています。

まお世話になった人達はこの記事を読んでいないかもしれませんが。



(とある少女の話)
その少女はライブが始まるまで数学のノートをじっと見つめていました。
ワンピースにショートヘアで、すごく細くて神秘的な子でした。

ノートには合同式のmodが書かれていました。

なんだか今日ふと、その子を思い出してしまったのです。


2011年9月1日木曜日

模倣と創造

僕は小さい頃から甘やかされて育ったせいか、
人に怒られると必要以上に凹んでしまうようです。


まぁそんなんどうでもいいや。







鳥居みゆきにしろ、
の子にしろ、
戸川純にしろ、

それは第一印象から惹かれていったのではなく、
むしろ多面的にその人物を知っていく過程で引き込まれていった気がします。

いや、「多面的にその人物を知っていく過程」というのはかなり違ったニュアンスだな。

言うなれば、その人を知れば知るほど、良い意味で裏切られていくような感覚。
それで結果的にその人物を多面的に知れるというカンジかな。


シンプルだけど深いところに価値基準があって、
一見バラバラなのに
裏では1mmの狂いもなく規律のとれているような。




インターネットというのは、
他人を深く知るきっかけを与えてくれました。


だから本当に支持される人は支持されるし、
薄っぺらい人はすぐに矛盾が生まれて、支持されなくなります。


時代がより「真実」に近づこうとしているのかもしれません。
インターネットなんて表面的なものが「真実」を促しているとすれば、
それはとても面白いことだと思います。


ソーシャルやインターネットはあくまでリアルをより鮮やかにするものでしかない。
という考えに変わりはありませんが。



兎にも角にも、「真実」の発信には勇気が伴うようです。
ブログを更新をするのだって、小さな小さな勇気が伴うわけです。