自己紹介

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tokyo, Japan
パソコンとお香があればだいたい幸せです。

2020年7月27日月曜日

自由意志

タンパク質。
結局それがすべてなのかもしれない。

僕らはタンパク質を摂取し、細胞を作り、
生殖細胞を作り、次の世代にそのランダムに選ばれたデータを伝えていく。

タンパク質の合成力の高いものは、
酒というアルコールを含んだ物質で適度に破壊し、
過度な生産を緩める。

僕らは所詮、データを保有したタンパク質の塊なのだろう。
それが、意思を持っているようにふるまい、
僕ら生物があたかも生きているという自覚を与える。

そんなことに無自覚で、外部刺激に対して、
反応し、喜び笑い悲しみ、
時は経過していく。

その時間の経過の中に様々な事象が生まれ、
物語が紡がれていく。

2019年8月16日金曜日

Reproduction 0.

カフェのテラス席で、隣に男女が座って盛り上がっている。
僕はヘッドフォンをして、自分の世界に逃げ込んだ。
さっき美容室に行って髪型を失敗したばかりで、あまり関わりたくなかったから。
ツーブロックにしてくださいって言うのが恥ずかしくて、テキトーにお願いしたら、変になってしまった。

いつも、大きな壮大なストーリーを描こうとして、途中で上手くまとまらなくなってきて挫折するんだ。そんな壮大なストーリーは継続力のある専業作家に任せてしまえばいいんだ。村上春樹とか。僕には毎朝同じ時間に起きて同じ時間に作品を書き上げるなんてできないよ。そんな継続力あったら今更火星にでも移住できてるよ。

だから、肩の力を抜いて、自分の好きなものを好きな時に好きなように表現してしまえばいいんだ。

考えていることや抽象的な言葉を表現するのは難しいことじゃない。
だけど、それを間接的にストーリーとして伝えるのはとても難しいことなんだ。
だって、名作ほど、解釈が多様で読めば読むほどに味が出てくるというだろ。
高校の国語の時間で先生が、名作の色んな解釈を説明してたろ。

ニュートンが木から落ちるリンゴを見て、運動法則を導いたように、
僕の記したものから間接的に、そして自発的に何かが導かれるものを記してみたい。

2016年6月14日火曜日

1

Today's gonna be the day...

ミャンマーのヤンゴン市街のKTVで、宿で知り合った欧米人達と僕はカラオケを楽しんでいた。

Say maybe...you're gonna be the one who saves me...

中学2年の下校時にMDから流れてきたその音楽は、ただの歌詞の理解できないかっこいい曲だった。東南アジアのカラオケで、ビールを飲みながら大声で歌い、その歌詞は僕の中に消化されていた。

You're my wonderwall...

「You're my wonderwall..., you're my wonderwall...」



2016年3月18日金曜日

やま

以下は駄作。最後まで書き終えることのできない性格。
熱しやすく冷めやすい。
そこに残るのは冷えきったフライパンばかり。


目を開けると、無数の光が暗闇の中を照らしていた。それはまるで夜の海に燦々と灯る漁火のようだった。駿は裸眼に飛び込んでくるその光るをボーッと見ながら、団体一行が出発の用意をし始めたことに気づいた。両隣の個人はどちらもまだ寝ていたので安心した。今は何時だ、6時くらいだろうか。まだ外は明るくない。駿はケータイの時計でまだ5時であることを確認した。安堵からすぐに二度寝の体勢に入ったが、辺りを照らす光るとワサワサと出発の準備をする物音と声が気になってしまい、いつも通りの心地よい二度寝に落ちることはできなかった。
団体一行は若かった。きっと大学サークルか何かの群れだった。茶髪の若い男や地味な女の子の10人ほどの集まりで、昨日の夕方もみんなで楽しそうにカレーを飯盒炊爨していた。その一方、駿はイワタニ社のジュニアガスバーナーでお湯を炊き、インスタントの炊き込みご飯が出来上がるのを待ちわびた。他にも団体は2、3組ほどあり、どうやら上級者ばかりのようで焼肉や酒を楽しんでいた。「何を食べたいとかは関係ないぞ、とにかく今日の食料を減らすんだ」。そんな声が聞こえてきた。団体も団体で大変なんだな。
個人の登山家も数名小屋に宿泊していた。40過ぎで登山慣れをしたような重装備の男性、30手前でおしゃれな男性、そして、港から同じバスで登山口まで入り、小屋で隣同士になった駿と同じ25くらいのおとなしそうでえらく軽装な彼。小屋に入るまで、駿は何度か彼に話しかけるタイミングに遭遇した。けれど、何かが話しかけるのを躊躇させた。一人で過ごすことの多い駿は、自分同様に孤独を愛す人の気持ちがよくわかった。唯一交わした会話は、16時頃に個人客が小屋に到着し、団体で占拠された小屋の中でそれぞれが譲り合う場面でのことだ。「隣、いいですか?」彼はぎりぎり一人入れるか入れないかの隙間に入ってきた。それは強引というより消去法での選択ととらえた。交流を求めるものであれば、「どうぞどうぞ、こちらこそよろしくお願いします」「どちらからですか?」と社交のきっかけにできたのかもしれないが、駿は「あぁどうぞどうぞ」というなんの変哲もない回答で会話を強制終了させたのだった。

二度寝もできずにサークル団体が出発するのをじっと待っていると、横で寝ていた彼がごそっと起き、寝袋を畳みはじめた。駿は寝たふりをしていたが、隣が気になった。寝袋を仕舞う一連の物音からも、動きの無駄のなさが感じられた。彼は軽装だったが、登山に慣れているが故の軽装なのかもしれないと思うようになった。一流のアスリートの体に無駄がないように彼の装備にも一切のムダが感じられなかった。サークル一行は山小屋の隣で朝食の準備に取り掛かりだした。まだ出発しないのか。正直早く出発してくれと思っていた。山の朝を静かに迎えたいと思っていた。登山という非日常に、若者の集団という日常が入り込んでくるのが気に入らなかった。お互い様なのはわかっていたが、駿にはそういう部分があった。集団には規模の効率性が働く、一人でテントから食料から何から何まで持参するより、団体で分散させたほうが圧倒的に負担が少ないのは明らかだった。もしかすると、その効率性に対する妬みもあったのかもしれない。駿の荷物は登山初心者であるが故に必要以上であり、収納も無駄が多かった。30リットルのザックに大きな寝袋を無理やり括りつけ、手には大きなスーパーの袋を持つことになった。中身は出発前日に近くのスーパーで買い集めた食料の数々だった。うまく収納すれば、ザック一つに収まったかもしれないが、無理に詰めることは嫌だった。それに片手にスーパーの袋を持つことであからさまに登山初心者に見えることも嫌ではなかった。駿はハードルを下げて、良い意味で期待を裏切るのを好んだ。途中、山道ですれ違う上級登山者達にスーパーの袋について言及されることは何度もあり、駿はその度に優越感に似たものを感じていた。
団体がすぐに出発する気配がなかったので、仕方なく起きることにした。寝袋から出ると、予想以上に外気は冷たい。メガネをかけ、コンパクトライトを片手に足元を照らす。隣で寝ているおじさんを起こさぬよう細心の注意を払った。なにせライトの光は強い。小屋を出て、朝食の支度に入る。外にはテントが3つ4つと点在していて、ここでもライトの向きに気をつけた。良い場所がなかったので、小屋近くのスペースに腰をかけた。朝はカロリーメイトだけで済ませようと考えていたが、あまりの寒さに温かい汁物が欲しくなった。昨晩同様に携帯バーナーでお湯を沸かし、スーパーの袋の中で一番かさばっていたインスタントラーメンの肉うどんを片付けることにした。二回目なので手慣れた手つきで携帯ガスバーナーを組み立て、近くの川でケトルに水を汲み、バーナーの上にセッティングした。ケトルはすぐに沸騰する。もう少し余韻がほしいくらいだった。
得体の知れない化学調味料を乾燥させた炭水化物の上にかけ、そこにお湯を注いだ。気温は0℃前後だ、すぐに汁も冷えてしまうだろう。ケータイで5分のタイマーをセットし、団体客の方でも観察しながら5分を終わらせようとする。化学調味料とお湯が反応し、食欲を刺激する匂いがそこら中に漂い始めた。
朝五時の暗闇の中、濃い出汁の肉うどんを食している。標的がよく見えない中、手当り次第に食す。口にして初めて自分が何を食べたのか理解する。時折肉に遭遇し、安堵する。
食事を終え、一服していたが、その頃には「彼」の姿はなかった。もう出発したのだろうか。こんな暗闇の中でも上級者は先に進んでいけるのだろうか。そんなことを考えていると便意がおとずれた。山小屋から数メートルのところにトイレ小屋がある。いつもは杜撰な駿だが、携帯ティッシュとウェットティッシュを手に持ち、列の前に並んだ。
トイレから出てくる女性は恥ずかしそうにそそくさとトイレを後にする。排泄行為は人間の基本的な行動なのだが、女子というものは恥じらいを顕著に示していた。いや、正確には排泄行為ではなく、縄文時代のような原始的なトイレで用を足すということに恥じらいを感じているのだろう。トイレは確かに汚かった。扉を開けた瞬間に刺激臭が鼻をつく。本当に臭いものは臭いと感じることさえできない。臭いと感じる前に刺激臭が感覚を察知を停止させる。駿はシャツの首周りを鼻にかぶせ、匂いをシャットダウンした。人類はこんな根源的な行為さえままならなくなってしまったのか。ティッシュとウェットティッシュを駆使し、汚れ一つ残さずきれいな状態で魔の空間を飛び出した。
辺りはすこしずつ明るくなり、もう歩くのにライトは不要だった。小屋に戻り、寝袋を畳んだ。駿が購入した寝袋はmont-bell製の上品な寝袋だった。雨に強いということであえてダウンではなく化学繊維のものにした。駿は初の本格的な登山に装備を奮発した。独身で大手企業に務める駿は飲食代以外にお金をかけることもないので、久々の長期休暇を彩る登山装備にはお金を惜しまなかった。若い店員のアドバイスを鵜呑みにして、トレッキングシューズ、雨具、寝袋など計6万円ほど使った。本当は寝袋の下に敷くマットなども買いたかったが、荷物を極力減らしたいという思いからとどまった。しかし、そのせいで寝ている間にかたい木の床で腰を痛めてしまったのは誤算だった。寝袋単体を過大評価してしまった。スマートフォンのカバーを誰しもが買うようなものだ。スマフォ単体でも使い物になるが、安全策はカバーで包んでしまうことだ。それと同じようにみんな寝袋に合わせてマットも買うのだ。駿の無駄な抵抗は裏目にでた。
寝袋をたたむのは初めてではなかったが、本格的な寝袋をたたむのは初めてだった。以前、実家の倉庫で眠っていたクオリティの低い巨大な寝袋で野宿をしたことがあるが、たたむのが困難だった。広げるのは容易いが、元の袋にしまうのは一苦労だった。このことから駿には寝袋をたたむことに対して苦手意識が芽生えていた。インドで知り合った韓国人は軍隊を経験していたため、一瞬で寝袋を畳んでいた。日本男児はなんとひ弱なことか。そんな韓国人の友人の動作を頭にイメージしながら、無理やりクルクルと丸め上げた。うまくコンパクトにできない。ええい入れてしまえ、無理ならばそれまでだ!駿はどんどん人が少なくなっていく小屋の中でひとり寝袋と格闘した。サークル団体もすでに小屋を後にしていた。苦闘の末、なんと寝袋は一発で袋に収まった。駿は大したことではないとわかりながらも感動を抑えきれなかった。自分の技術にではなく、自分の未熟な技術をも包み込んでしまうその最先端品質にである。駿は寝袋への投資に心底満足した。登山それ自体より、手段の方を充実させる方が駿の性格には合っていたかもしれない。
荷物をまとめ、小屋を出発する。この時点で駿は本来2泊3日のコースを1泊2日に縮めれるのではないかと思っていた。ガイドによると、二日目のコースが7時間35分、三日目のコースが4時間10分。今の時刻は6時。白谷雲水峡を超えたところにあるバス停はの最終は17時10分。猛烈に飛ばせば、間に合うかもしれない。そして何よりもう小屋に泊まるのは勘弁だ。早く風呂につかって、フカフカの布団で寝たい。海外に来て日本食しか食べない輩のようになってしまった。
0605。小屋を出て、川の上に架かる橋を渡る。辺りは朝の静けさに包まれ、鳥の囁きと、川の音が心を落ち着かせた。眠りは浅かったようだが、頭は冴え渡っていた。僕らの日常にもこんな鋭い感覚が必要だ。じつに原始的だが、五感が体中を駆け巡っているのがわかった。
前後には誰もいない。あんな粋がったサークルどもなんかすぐに追いついてやる。待っていろ。駿は最初から全力疾走で軽快に飛ばしていった。5分後、息が切れてくる。登山特有の苦しさだ。急に飛ばすと息が上がる。息を落ち着かせながら少しペースを落とし、土や木々の匂いを感じなら大きなスライドで一歩一歩踏みしめる。社会人になってから5kg太った自分の体と10kg以上はあるザックが予想以上に自分の身体に負担をかけている。いつも思う、登山は人々を魅了して止まないが、その大半は地味で退屈な作業の繰り返しだ。
朝焼けが視界の木々たちを朱く彩る。徐々に額が汗ばんできた。駿はアトピー持ちで汗に対して敏感であったが、登山に集中しているせいか普段でてくるかゆみを感じることはなかった。一度立ち止まり、背後の朝焼けを眺める。眩しいほどの朱い光が、目の前を照らしていた。早朝の登山は何度かしたことがあるが、ここまで山々を朱く照らす太陽の光は見たことがなかった。作業のようにカメラを取り出し、美しい朝焼けとそれに照らされる木々をフレームに収める。駿は撮った写真を確認したが、肉眼で感じる朝焼けの質感をカメラのセンサーでは感知することができず、ぼんやりと赤いだけの写真になってしまっていた。カメラをしまい、すぐに登りだす。前後に人はいないようだ。長期休暇による混雑を予想していたが、これは嬉しい誤算であった。駿は人混みを極端に嫌っていた。人混みに身を置くと、自分の価値が相対的に薄れる気がした。いま、この空間には僕しかいない。それは素晴らしく心地よかった。
宮之浦岳まで5.5km。標識が目に飛び込んでくる。時計に目をやる。0620。15分で0.5km進んだのか。宮之浦岳到着予想時間を割り出そうともしたが、あまり意味がないのですぐに標識をスルーして先に進んだ。標識を見て、目的地までの残り距離が徐々に減っていくという登山の感覚を思い出していた。上に進ていけばいくほど、道の舗装は減っていく。

2016年2月2日火曜日

Stple the shoa

ビールのせいでせっかく呼び寄せた眠気は、いつの間にか消える

あれ?昨日はあんなに寝たんだから、今日はそんなに寝なくていいんじゃなかったっけ

一度、スイッチがオンになると、夜と対峙せざるを得なくなるんだ

懐かしくなって、昔読んだラッキーマンを急にダウンロードしたりして、
一巻だけ読んで、もう満足したりして


明日は株価が上がるかな
僕は最初の一手以外は完璧だったんだ
けれど、その一手のせいで、全てが崩れてしまうこともある
今はただ、その傷口をなるべく浅くすることに全力を掲げて

大学で僕は金融を専攻していたから、金融の基礎体力はあるみたい
日銀は第三の金融政策を実施する
僕が思うに、金融というのは「心臓」的な役割で、
体中に必要な血液を供給し続ける

最近じゃすっかりどこも健康なのに、
無駄に血液を体中に供給しようとして、
いろんなところから綻びが出てるんだ

でもせっかく血液にあふれているうちは栄養をもらっておくに限るよ
みんな肥えてきて、そのうち、供給もストップするかもしれないしね

おかしな話だよ、汗水たらして働くことより、ボタンを押して血液をコントロールすることの方が栄養をたくさんもらえるんだから

でも、以外と人間も同じなのかな
体を制御してる脳が、一番栄養食ってたりするのかな

2015年2月8日日曜日

2073-1




シーコー、、、シー、コー、シーコー、コー、シーコー



祖母は、酸素マスクをつけて、無理矢理呼吸をしていた。

呼吸の度に、大きく息をして、苦しそうな姿は「生きている」とは言い難かった。

「時々、ばあちゃんは自分でマスクを外そうとするの」

「自分で最期の決断をしようとするの」

彼女は、もう、死を受け入れているんだ。

覚悟を、決めているんだ。
どんなに医療が進んだって、人が死ぬ時は死ぬんだ。

もう私は疲れたんだ、いいからほっといておくれよ。

そんなことを彼女は思っているのかもしれない。

僕が生まれて、ばあちゃんは始めから、ばあちゃんだった。
歳はとっていたけど、TVが好きで、流行には敏感だった。
若い時の話はほとんど聞いたことがない。いや、孫の僕が知るべきではないのかもしれない。しかし今、彼女の最期が少しずつ近づいて、僕は彼女の人生に興味を持った。


「ばあちゃんはね、私を一人置いて、出て行っちゃったの」

父さんが浮気したんだと思うの。あの時のことはよく覚えてない。気づいたら、母さんはいなくなって。新しい母さんがそこにいたの。まだ私は幼かったけど、なんとなく嫌な予感みたいのがして、それは大きく当たってしまったの。

あれは冬の日だったと思う。父さんが体調を崩してしまったの。元々体が弱かったのよね。仕事もできなくてね、新しいお母さんが夜に働きに出てね。帰ってきて、看病をして。私はそれを奥からじっと見てた。なんにも悪いことはしてなかった。ただ見てたの。
そしたら、その女は私に気づいて、すごい勢いで私に当たってきたの。
木の柱に幼い私の頭を何度も何度もぶつけて。
「なんで、なんで私が働いてあんたを育てなきゃいけないのよ!」って。
本当に辛かった。私を置いてった母さんを恨んだわ。
それからも、その女は何度も私に虐待を繰り返してた。今なら少しはその女の気持ちを理解できなくもないけど、その時私にとって家庭は地獄でしかなかった。いつも家に帰りたくなくて、何度も家出してた記憶がある。

それから私が中学生くらいになって、父さんは他界してしまったわ。
父さんの葬式をした時に、あるお姉さんが一人私に近寄ってきたの。
急に私を抱きしめて、「ごめんなさい、ごめんなさい」って。
母さんだって、すぐに分かった。でもその時は私を置いていった恨みの方が強くて、すぐ母さんを受け入れることはできなかったわ。


「熱が少し上がってますね」
看護婦さんが、温度計を見てそういった。
「点滴を打った直後なので、問題はないと思います」

「そうですか、ありがとうございます」

この人からしたら、この年寄りの命なんて、どうでもいいのかもしれない。
もしかしたら早く死んだ方が仕事の手間が省けるのかもしれない。
そんなことは思っていないだろうが、彼女達の淡々とした対応を見ていると、
そう思ってしまう自分がいた。

僕は、母さんがいなくなったのを見計らって、
ばあちゃんの手を握りしめて、話かけた。

危篤状態の連絡を受けてから駆けつけるまでに時間がかかってしまったこと。
それを申し訳ないと思っているということ。まだ死んでほしくないということ。
自分とばあちゃんは血がつながっているということ。
小さい頃のばあちゃんとの思い出のこと。

ばあちゃんは、僕の手を何度も握り返して、
閉じたままの目からは、水滴が滴り落ちていた。

シーコー、シー、コー、、、シーコー、、、

2014年7月6日日曜日

夏は、生命力に溢れて、

なにも怖くなくなる。


糖分をとり過ぎて、
インスリンの働きを感じて、


行動力が止まらず、
日々が急速に通り過ぎていきます。



食べ物もおいしく、
冷たいジュースはさらにおいしく、
怖いもの知らずで。




そんな、24の夏。