自己紹介

自分の写真
tokyo, Japan
パソコンとお香があればだいたい幸せです。

2015年2月8日日曜日

2073-1




シーコー、、、シー、コー、シーコー、コー、シーコー



祖母は、酸素マスクをつけて、無理矢理呼吸をしていた。

呼吸の度に、大きく息をして、苦しそうな姿は「生きている」とは言い難かった。

「時々、ばあちゃんは自分でマスクを外そうとするの」

「自分で最期の決断をしようとするの」

彼女は、もう、死を受け入れているんだ。

覚悟を、決めているんだ。
どんなに医療が進んだって、人が死ぬ時は死ぬんだ。

もう私は疲れたんだ、いいからほっといておくれよ。

そんなことを彼女は思っているのかもしれない。

僕が生まれて、ばあちゃんは始めから、ばあちゃんだった。
歳はとっていたけど、TVが好きで、流行には敏感だった。
若い時の話はほとんど聞いたことがない。いや、孫の僕が知るべきではないのかもしれない。しかし今、彼女の最期が少しずつ近づいて、僕は彼女の人生に興味を持った。


「ばあちゃんはね、私を一人置いて、出て行っちゃったの」

父さんが浮気したんだと思うの。あの時のことはよく覚えてない。気づいたら、母さんはいなくなって。新しい母さんがそこにいたの。まだ私は幼かったけど、なんとなく嫌な予感みたいのがして、それは大きく当たってしまったの。

あれは冬の日だったと思う。父さんが体調を崩してしまったの。元々体が弱かったのよね。仕事もできなくてね、新しいお母さんが夜に働きに出てね。帰ってきて、看病をして。私はそれを奥からじっと見てた。なんにも悪いことはしてなかった。ただ見てたの。
そしたら、その女は私に気づいて、すごい勢いで私に当たってきたの。
木の柱に幼い私の頭を何度も何度もぶつけて。
「なんで、なんで私が働いてあんたを育てなきゃいけないのよ!」って。
本当に辛かった。私を置いてった母さんを恨んだわ。
それからも、その女は何度も私に虐待を繰り返してた。今なら少しはその女の気持ちを理解できなくもないけど、その時私にとって家庭は地獄でしかなかった。いつも家に帰りたくなくて、何度も家出してた記憶がある。

それから私が中学生くらいになって、父さんは他界してしまったわ。
父さんの葬式をした時に、あるお姉さんが一人私に近寄ってきたの。
急に私を抱きしめて、「ごめんなさい、ごめんなさい」って。
母さんだって、すぐに分かった。でもその時は私を置いていった恨みの方が強くて、すぐ母さんを受け入れることはできなかったわ。


「熱が少し上がってますね」
看護婦さんが、温度計を見てそういった。
「点滴を打った直後なので、問題はないと思います」

「そうですか、ありがとうございます」

この人からしたら、この年寄りの命なんて、どうでもいいのかもしれない。
もしかしたら早く死んだ方が仕事の手間が省けるのかもしれない。
そんなことは思っていないだろうが、彼女達の淡々とした対応を見ていると、
そう思ってしまう自分がいた。

僕は、母さんがいなくなったのを見計らって、
ばあちゃんの手を握りしめて、話かけた。

危篤状態の連絡を受けてから駆けつけるまでに時間がかかってしまったこと。
それを申し訳ないと思っているということ。まだ死んでほしくないということ。
自分とばあちゃんは血がつながっているということ。
小さい頃のばあちゃんとの思い出のこと。

ばあちゃんは、僕の手を何度も握り返して、
閉じたままの目からは、水滴が滴り落ちていた。

シーコー、シー、コー、、、シーコー、、、