自己紹介

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tokyo, Japan
パソコンとお香があればだいたい幸せです。

2011年3月28日月曜日

劣等complex

(本音)
本来、情報発信をするために始めたはずのblogは
結局、SNSの延長に終わったようだ。

そこに、
情報としての価値はあるはずがなく、
何の真意もない、


気分で記す、公開日記となんら変わらない。

それでも何かしら価値があると思ってるから、

こうして、

頻繁に書いている。







(金と労働と人生)
金にどうしても固執してしまう自分がいる。
金はあれば使うし、
欲しいものは尽きない。

一方で、「金というものはくだらない」という固定観念も存在している。
金を追求することは愚かだと理性が語りかける。

しかし、僕にはその意味が心から理解することができない。


海外に生きたい。
いい家電を買いたい。
数は少なくていいが、よい靴と鞄と服が欲しい。

楽しむにはそれなりにお金がかかってしまうと思っている。



本を読んでも、真の成功者は金の追求をしていない。
成功しても金に一切固執していないことが

とてもカッコ良く思える。

自分もいつかそうなりたい。

そのためには、
一度、
お金を死ぬほど稼いでみる必要があるのかなんて思っている。


金とはいったいなんなんだ。

こうして「カネカネカネ、、、」ということ自体、最高にかっこ悪い。



金を使うことで豊かに感じる以上に快感を感じられる仕事を見つけたい。


「給料?そんなことより、仕事くれよ」みたいな。





以上、普段あまり使わないヘッドフォンの音質が予想以上に良く、
音楽を聞きながら一気に文章が湧き出てきた次第でした。




(映画の話)
まぁ映画だけじゃないんだけど
なんかボケーッと見てると、
全然ストーリーとか入ってこないんだよなぁ

見終わった後なんも残らないみたいな。
ていうか見てる途中すでに半分「飽きたー」みたいな状態になってんだよね。

漫画とかも色々全巻集めたけど、
一回読んでも、ほとんど読み返さないんだよなぁ。

参考書とかだって、何度も同じ問題解いてた方が力つくとか言われてたけど、
同じ問題を解くのは苦痛で仕方ない。


さっきもインセプションしっかり見たんだけど、
途中からすげーつまんなくなっちゃって、
意味不明になった。


読解力と豊かな感受性が欲しい。

2011年3月24日木曜日

黒いたまご

晴れた。

淀んでいた感情が

晴れた。

淀みきった感情のやり場に困って、
音楽にも助けを求めた。
でもダメだった。


結局、
問題ってのは
その根本に向き合わないと何も解決しない。

その根本に向き合うには死ぬほど勇気が必要だった。


まだまだ問題は山積みだけれど、
根本を見極め、勇気をもって向き合っていきたい。








”きみはどうしようもないだろうね
どうにもならないだろうね”

2011年3月21日月曜日

夜空の虫とどこまでも




衝撃的だった。

僕にとって。


僕がかまってちゃんファンを公言すると、軽く引く人達もいるでしょう。
しかし、そんなんどうでもいいんです。

彼が精神的に問題があったって、
ライブで全裸になったって、
リストカットしたって、
ファンにオタクが多くたって、

彼の音楽は純粋にとても響く。


誰か一緒にライブでも行きませんか?





2011年3月15日火曜日

人と災害

(地震の話)
大きな地震が起きました。

社会はダメージを受けています。

人々は様々なことを論争しています。

くだらない論争もたくさんあります。
〜〜なんて不謹慎だ!とか、
〜〜なんて被災地の人々からしたら〜〜だろう!とか。


こういう大きいことが起きると普段と全く違うような発言をしたりする人もいます。


災害ってすごいですね。



(負けず嫌いの話)
以前、すごく勝負事が好きですごく負けず嫌いな人に会いました。

その時思ったことが、
結局、「負けず嫌いな人が勝つ」ということ。

やっぱ負けてもいーやって思ってたら、人には勝てないんだと思います。

自分は全然人と競り合うのが好きではないと思っていたんですが、
以外にそうでもないようです。


バスケにしたって、
自分が試合に出れなくたって全然平気でした。

だけど、たまに心の奥底で火花が飛び散ってたみたいです。
表には出さないんですけど、メラメラと。


いや、なんでこんな話をしたかっていうと、
さっき友人のfacebook見てたら、
なんかメラっときたわけです。

それが
スポーツにおける勝負なのか
恋愛における勝負なのか
ビジネスにおける勝負なのか
学問における勝負なのか
はたまたその他の勝負なのか

は明かしませんが、
とりあえず、
メラっときたんです。



自分もよくわかりませんが、
これで地震も乗り切れそうな気がします。

2011年3月4日金曜日

本田と藤澤

どうも。

ごぶさたしていました。

とりあえず、生きてます。




21歳になり、人生第2章がスタートしました。
大変順調です。きっと。

どれくらい順調かというと、
ジャンプで3週連続オールカラーを飾るくらい順調だと思います。


具体的に何が順調なのだと言われると困りますが、
強いて言うなら、

自分の認識に

「共同体感覚」

が生まれたからだと思います。

とある企業の代表から教えてもらったのです。
それからアドラーの本を読んでみたのです。

共同体感覚というのは

以前にもblogで紹介しましたが、


(1)「自己肯定感」――こんな自分でも意味があると思える。
(2)「他者への基本的な信頼感」――人を信頼し、みんなで力を合わせて生きていく。
(3)「貢献感」――ちょっぴりでも、人の役に立てるようなことがあったら、やってみる。

この3つをまとめたものです。

共同体感覚は奥が深いので興味を持った人は調べてみてください。


何が言いたいのかというと
(宗教的なことを言ってるのではありません)

意味とはすべて人によって見出されたもの。
我々の人生の意味も同様に他者によって見出されるもの。

だから、どんなに自分の世界の中だけで何か達成したところで、
それは意味という観点からは何も意味をなさないということでしょう。

結局我々の自己も人類という有機的共同体の一部ということなのです。
このことをきちんと認識していれば、それは共同体感覚があると言っていいと思います。

この共同体感覚は主に親や家庭によって訓練されるそうです。


人の考え方の本質や生き方はこの幼少期から培われた潜在的なものが大きく左右しているのです。





僕は21でこの共同体感覚に出会えてよかったと思いました。
自分がこれまでいかに荒んだ感覚しかなかったか。。。
 
もちろんこれ急にこれらの感覚が身に着くわけではないので、
僕自身はそこまで変わっていませんが、
この感覚を意識することで、意識的に行動を変えることはできるようになりました。
 
これを続けていくと意識的な行動が習慣化し、
習慣が無意識に行動させ、最終的には自分が変わるのだと思います。
 
 
 
 
と、まぁここまで
きれいなことばっかり言ってきましたが、
人生第2章もなんとかなるさってわけです。
 
 
 
 
 
 
(本田と藤澤)
本田宗一郎の本を読んで、胸が熱くなりました。
 
 
冷めてる僕が熱くなるってことは相当なことなんです。
 
 
本田「まあまあだな」
藤澤「そう、まあまあさ」
本田「ここらでいいということにするか」
藤澤「そうしましょう」
 
ワンピースとか、そんな次元じゃない。
 
http://www.amazon.co.jp/%E8%A9%95%E4%BC%9D%E6%9C%AC%E7%94%B0%E5%AE%97%E4%B8%80%E9%83%8E%E2%80%95%E5%89%B5%E6%A5%AD%E8%80%85%E3%81%AE%E5%80%AB%E7%90%86%E3%81%A8%E6%98%AD%E5%92%8C%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%A5%E3%81%8F%E3%82%8A%E3%81%AE%E7%B2%BE%E7%A5%9E-%E9%87%8E%E6%9D%91-%E7%AF%A4/dp/4810911926/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1299238078&sr=8-1