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tokyo, Japan
パソコンとお香があればだいたい幸せです。

2011年12月31日土曜日

久々に、割と、まともなやつ。






(免許と学歴)
今、山形にいます。
12/19〜1/5で免許合宿です。

極寒ですが、知り合いも増え、快適なほぼ一人暮らし状態に満足しています。

なんで山形なの?とよく聞かれるんですが、
自分でも、あれ?なんで俺山形にしたんだっけと思ってました。

で、思い出したんです。
ただ安くて日程が合ったから。

すいません、中身のない話で。


で、思ったことが一つあるんですよ。
学歴って、環境が左右する割合が大きいなぁと。


仮免学科試験て、当たり前ですけど、すごいフェアなわけですよ。
今まで運転に関するバックグラウンドもみんな同じだし、
同じ合宿日で入った人は勉強出来る時間も同じ。

こういう試験て、あんまりないと思うんですよね。
受験だって、塾や学校によって教わる内容にバラつきがあるし。

で、同じ日に入校した人は色んな学生がいて、
慶應とか言うと「うわ慶應かよ」みたいな印象を持たれるんですけど、
学科試験を受ければ、
みんな合格していて、
理解度もみんな高くて。

ほんと当たり前のことなんだけど、
学歴と理解力ってあんまり相関がないというか、
誰だって、同じ環境でレースしたらあんま変わんないんだなって思いました。
(いや、もちろん個人差は大きく出るんだけど、標準をクリアすることは誰でもできるなと。)


企業とか、採用の際に本当に学歴にこだわるけど、
本当に優秀な人が欲しいなら全く無視すべきだと思うし、
学歴にこだわってる企業は長期的にみて衰退していくんじゃないかなと思う。
もちろん、学歴を無視すると採用選考コストがかさむのかもしれないけど。


(他人無視幸福論)
合宿中暇なんで、本とか読んでいます。
そこで書いてあったことや考えたことを1つ。

最近の人々(主に日本人)は色んな問題を抱えてるけど、
その根本て、「幸福を相対的な尺度でとらえてる」ことに起因するんじゃないの?
だから、周りを無視すれば幸せになれるんじゃないの?っていう話です。



要するに、自分と他人を比較するから辛くなってしまうんじゃないの?ってことです。
結婚、仕事、お金。
自分の中に絶対的な幸福の尺度があれば、
とにかくそれに従って行動すればいいわけです。

だけど、日本人というのは人が気になってしまう。
(※「日本人」という言い方はかなり語弊がありますが、これはあくまで個人的意見です)

でも、それは強みでもあり、弱みでもあると思う。

周りが気になるから、集団としては高いパフォーマンスが発揮できる。
(高いパフォーマンスというより、低くないパフォーマンス)
日本の治安や経済水準が高いのは、
日本人が周りを気にする(ことができる)特性のおかげなんだと思います。

でも、それは結局諸刃の剣で、
集団としての幸福感が
個人としての不幸感を招いてしまうんじゃないでしょうか。


だから、「日本人は周りを無視して、
自分の幸せを追求して生きていきましょう!」
というのはちょっとおかしくないか?って思ってしまったわけです。


でも、無視していいところはかなりあるはずです。
集団として押さえないといけないとこは押さえて、
無視できるとこは無視すれば、個人としても集団としても幸福感を最大化できるんじゃないでしょうか。


かくいう私も周りを気にする傾向があるので、
悩みもそこから起因したものが多いように思われます。

悩みに直面したら、
他人のことを無視すれば、
解決にはなりませんが、楽にはなれるので、
解決への準備にはなるのかもしれません。


では、明日も朝から教習ですので。


みなさま、
よいお年を。

2 件のコメント:

  1. だれもがマズローの欲求の自己実現の段階に行けたらいいよね

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  2. あ、その視点を忘れてた。
    だいぶ、的を得てる。
    その調子で、
    「がんばれ、就活生」

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