「あ、ごめん、Aだけど、少し遅れると思う」「駅じゃなくて、家まで車で迎えに行くから待ってて」
「大丈夫ですか?」
「お客さんの予定が急に変更になっちゃって、ごめんね、終わったらすぐ連絡するよ」
土曜日だったが、A氏には仕事が入っていた。
仕事がある方がむしろ気が紛れて彼には良かったのかもしれない。
花火大会なんてのは、行きたいわけがないのだから。
顧客との面談が終わると、笑顔で握手を交わし、K子の家まで急いで車を走らせた。
僕らはひと月前から、いわば「付き合っている」状態になったのだった。
お世辞にも僕とK子は相性が良いとは言えなかった。
しかし、K子が僕に少なからず好意を抱いているという事実と、悪い人ではなさそうだという直感が判断を促した。
A氏の決断はしばしば理にかなっていないことが多くあった。
人間は感情で動く不合理な生き物かもしれないが、A氏はそれが顕著だった。
スプーンを買いに行ったはずだったのに、急にフォークが欲しくなって、帰ってからスプーンがなくて困るような、そんなことが日常茶飯事だった。
彼はそのことに気づいてはいるが、なぜ頻繁にそうなるのかは分かっていなかった。
今回の彼の判断が正解かどうかは全く分からないが、
彼自身は一過性の高揚感を味わったはずであろう。
「あ、もしもし僕だけど、今終わって向かってるから」
「あと20分くらいかな」
車内ではglobeの曲がかかっていた。
花火は好きじゃなかった。
はっきり言ってデートの場所なんんてどこだっていい。
気苦労はどこだって消えないのだから。
歩道には浴衣を着たカップルが何組か歩いていた。
朝から雨が降り、中止かと思われたが、雨はすっかり止んでいた。
「あ、もしもし」「もうマンションの下に着いたよ」「えーと、黒のプリウス」「はーい、じゃ待ってまーす」
助手席に置いていた雑誌をどけて、さっきまで面談をしていた顧客にメールを打った。
A氏はiPodのアーティストをグルグル回し、tahiti80で止めた。
コンコン
マンションの入り口から出てきたK子が車を軽くノックした。
浴衣を着ていた。いつもと印象が違ったので少し驚いた。
「お待たせー」
「浴衣、似合うね」
「ありがと、白にしてみたの」
「うん、似合ってる」
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