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2013年4月8日月曜日

A氏の平凡な日常⑩

K子がイタリアに行っていたのは2週間だった。

旅行先の写真が添付されたメールが数日に一度届いたが、
見ていて気分の良いものではなかった。


A氏は連日の残業により、体が重くなっていくのを感じていた。


気分も明るくない。こんなときは運動が解決になることを僕は知ってる。



金曜の夜に、早めに寝て、
次の日、昔よく参加していた会社のテニスチームの練習に行くことにした。


A氏の会社は財閥系金融機関であり、その財閥系の会社数社合同のテニスチームだった。

中には全国大会に名を連ねたものもいたが、チーム自体はただの男女が群れる場でしかなかった。


A氏はその中でも、本気でテニスに向き合う珍しい存在だった。
最初のうちは男女交流を楽しんでいたが、もの足らなくなり、本気のテニスに没頭した。

さすがに全国レベルの人々には敵わなかったが、時折そんな彼らに度肝を抜かせるショットを打てた瞬間が好きだった。




朝御飯を食べ、自転車で練習上まで向かった。運動不足のせいか、少し早めに自転車をこいだだけで息があがってしまった。
A氏は良いウォーミングアップだ、とスピードをさらに早めた。



その日、練習場には明らかに人が少なかった。どうやら今日は練習が中止らしく、僕を含めそのメールを見ていない人々が間違って来てしまったのだ

しばらくすると、同期の前田が現れた。

こちらに気づいたが、とても罰が悪そうだった。
それは恐らく隣に新入社員の娘を連れていたからだ。

前田はこの練習を管理している責任者だった。たいしてうまくはないが、周りからはノリが良いとされるタイプだった。

練習を管理し、メーリスを回している前田本人が練習のない日に誤って来てしまうということはありえなかった。

僕はなんとなく嫌なことを考えていた。それは邪推かもしれなかった。


前田は今月に彼女が妊娠したことが発覚した。
そして、籍を入れることにしたらしい。前田は飲み会の席で、できちゃった結婚をしたことをぶっちゃけたが、それはフツーとは違っていた。

自分が相手の妊娠にも動じず、笑顔で「一緒に育てていこう」と言ったんだと、自ら語っていた。

前田はできちゃった結婚をできるだけ美化し、格好つけていた。


A氏にとってはそれに違和感を感じられずにはいられなかった。
彼は日頃から女遊びに夢中であったし、彼に自分を美化する習性があることも知っていたからだ。



A氏はそうやって、いつまでも他者の欠陥を受け入れることはなかった。
それが彼を苦しめていたかもしれないし、彼を安定させていたかもしれない。




A氏は間違えて来てしまった人たちとラリーを始め、嫌気をボールに叩きつけた。


前田は新入社員のFちゃんと親しい様子でラリーを続けていた。

前田はA氏を気に入ってはいなかった。
仕事においても外見にもおいても、前田はA氏に劣等感を感じていた。前田の努力はA氏の前では報われることは少なかった。


ベンチで休憩していると、前田とFちゃんが自販機で買ったポカリスエットとネクターを持って近寄ってきた。

「A、相変わらず飛ばしてるなぁ笑」
「もう疲れちゃったよ」
「Aさん、うまいですねー」
「Fさんもうまいじゃん」
「私は全然ですよー」

「Fちゃん、ポカリいる?ネクターじゃ甘いでしょ?」

A氏もネクターだった。

しかし、前田がA氏にポカリを勧めることはなかった。

前田はその事に気づいたが、あえて触れなかった。

「あ、Aさんもネクターだー笑」

Fちゃんが何かを続けようとしたが、

「そういえば、お前あの彼女とはうまくいってんのかよ?」

前田は不自然に遮った。

「うん。なんかイタリア行っちゃった」
「なんだよそれ、おいてけぼりかよ笑」
「いいなー、イタリアー」
「イタリア人と浮気してんじゃねーの笑」

できちゃった結婚から二週間後に新人の女の子と楽しくテニスしている男はなかなかユーモアがあった。

「イタリア人、かっこいいしね」

僕はあえて否定はしなかった。

「冗談だよ、そこは否定しとけよ笑」
「Aさんて面白い人なんですね」
「そうだよ。僕は面白い人だよ」

僕は調子に乗ってみた。

Fちゃんは笑っていた。
前田は笑っていなかった。


その後も、A氏はテニスを続けた。
無理な動きをしすぎたせいか、足を中心に筋肉痛が襲ってきた。


前田は頻繁にこうして女性を車でテニスまで送り迎えしていた。



前田という男は、一般的に「肉食」と呼ばれる男性だった。
A氏は「肉食」であることに対しては嫌悪を示さなかったが、
男女であからさまに態度を変えられるのは不快に感じていた。




それでも、A氏はこの世の原理を冷静に把握していた。


僕は分かってるんだ。
最後に生き残るのは前田みたいなやつなんだ。悲しいけど、そうなんだ。

A氏は家に戻り、靴を脱いだ。
夕日が眩しく差し込み、靴下には砂利が混じり、不快だった。

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