桜が満開。
春の高揚感はいつの歳になっても訪れるものですね。
(教育の話)
明日から大学のガイダンスが始まります。
当初の予定から約2週間後に変更されました。
震災の影響なのか知りませんが、大学は何をしてるんでしょうか?
日本においても有数の教育機関である我が大学がこのような姿勢をとっていることが日本の教育を象徴している気がします。
ダメだろ、絶対。
企業は震災後、1週間くらいで元通り活動しているってのに、
大学は地震から2ヶ月も動かないってどういうことだ。
日本が変えるべきは経済とかではなく、
まず、教育だと思っている。
個人的に思う日本の教育の問題点
①学問と実態(ビジネス?)の乖離
社会に貢献していくためには、ビジネス的な要素も学問的な要素もどちらも必要。
日本の大学は学問を極めるという役割に徹しているのかもしれないが、
うまくいってないのが実情。
②入口と出口
入試と卒業。
入口はもっと総合的に人物を判断すべき。大学までペーパーのみで、社会人から急に総合的に判断するというのは不自然。
出口、というか成績評価をもっと厳しくしてしまっていいんじゃないだろうか。
③国際化
外国人の教授や留学生など、教育の質を高めるには世界中からリソースを集めるべき。
自分は将来、ビジネスを経験したあと、教育者として貢献していけたらなと思っている。
(テレビの話)
最近、テレビはほとんど見てないのですが、
昨日久しぶりに人気バラエティを見た。
自分が変わったのかもしれないが、小さい頃は楽しく見ていたその番組は苦痛で仕方なかった。
全てがツクられたものなのに、あたかもツクっていないかのように放送していたからだ。
そのインターネットにはテレビよりもリアルが流れている。
編集されたりされているもの方が少ないように思う。
べつにテレビ自体が嫌いなわけじゃないが、
最近のテレビ番組にはリアルが大きく欠けている。
ヤラせだけでなく、スポンサーが死ぬほど絡んできたりして。。。
ただ面白いもの、みんなが見たいものを流せばいいじゃないか。
利益を確保するために番組が陳腐なものになってしまっている気がする。
2011年4月10日日曜日
2011年4月2日土曜日
物欲の春
食欲の秋、読書の秋などと言われますが。
最近、物欲の春が訪れました。
手帳を買い替えたの皮切りに、
本を何冊も購入してしまった。
財布がビックリしている。
そして、ZEQUENZというブランドのノートが欲しくなってしまった。
しかし、方眼のタイプしか日本にはないらしく、
僕は無地がいいので困っている。
いやはや、物欲の春は手強い。
最近、物欲の春が訪れました。
手帳を買い替えたの皮切りに、
本を何冊も購入してしまった。
財布がビックリしている。
そして、ZEQUENZというブランドのノートが欲しくなってしまった。
しかし、方眼のタイプしか日本にはないらしく、
僕は無地がいいので困っている。
いやはや、物欲の春は手強い。
2011年3月28日月曜日
劣等complex
(本音)
本来、情報発信をするために始めたはずのblogは
結局、SNSの延長に終わったようだ。
そこに、
情報としての価値はあるはずがなく、
何の真意もない、
気分で記す、公開日記となんら変わらない。
それでも何かしら価値があると思ってるから、
こうして、
頻繁に書いている。
(金と労働と人生)
金にどうしても固執してしまう自分がいる。
金はあれば使うし、
欲しいものは尽きない。
一方で、「金というものはくだらない」という固定観念も存在している。
金を追求することは愚かだと理性が語りかける。
しかし、僕にはその意味が心から理解することができない。
海外に生きたい。
いい家電を買いたい。
数は少なくていいが、よい靴と鞄と服が欲しい。
楽しむにはそれなりにお金がかかってしまうと思っている。
本を読んでも、真の成功者は金の追求をしていない。
成功しても金に一切固執していないことが
とてもカッコ良く思える。
自分もいつかそうなりたい。
そのためには、
一度、
お金を死ぬほど稼いでみる必要があるのかなんて思っている。
金とはいったいなんなんだ。
こうして「カネカネカネ、、、」ということ自体、最高にかっこ悪い。
金を使うことで豊かに感じる以上に快感を感じられる仕事を見つけたい。
「給料?そんなことより、仕事くれよ」みたいな。
以上、普段あまり使わないヘッドフォンの音質が予想以上に良く、
音楽を聞きながら一気に文章が湧き出てきた次第でした。
(映画の話)
まぁ映画だけじゃないんだけど
なんかボケーッと見てると、
全然ストーリーとか入ってこないんだよなぁ
見終わった後なんも残らないみたいな。
ていうか見てる途中すでに半分「飽きたー」みたいな状態になってんだよね。
漫画とかも色々全巻集めたけど、
一回読んでも、ほとんど読み返さないんだよなぁ。
参考書とかだって、何度も同じ問題解いてた方が力つくとか言われてたけど、
同じ問題を解くのは苦痛で仕方ない。
さっきもインセプションしっかり見たんだけど、
途中からすげーつまんなくなっちゃって、
意味不明になった。
読解力と豊かな感受性が欲しい。
本来、情報発信をするために始めたはずのblogは
結局、SNSの延長に終わったようだ。
そこに、
情報としての価値はあるはずがなく、
何の真意もない、
気分で記す、公開日記となんら変わらない。
それでも何かしら価値があると思ってるから、
こうして、
頻繁に書いている。
(金と労働と人生)
金にどうしても固執してしまう自分がいる。
金はあれば使うし、
欲しいものは尽きない。
一方で、「金というものはくだらない」という固定観念も存在している。
金を追求することは愚かだと理性が語りかける。
しかし、僕にはその意味が心から理解することができない。
海外に生きたい。
いい家電を買いたい。
数は少なくていいが、よい靴と鞄と服が欲しい。
楽しむにはそれなりにお金がかかってしまうと思っている。
本を読んでも、真の成功者は金の追求をしていない。
成功しても金に一切固執していないことが
とてもカッコ良く思える。
自分もいつかそうなりたい。
そのためには、
一度、
お金を死ぬほど稼いでみる必要があるのかなんて思っている。
金とはいったいなんなんだ。
こうして「カネカネカネ、、、」ということ自体、最高にかっこ悪い。
金を使うことで豊かに感じる以上に快感を感じられる仕事を見つけたい。
「給料?そんなことより、仕事くれよ」みたいな。
以上、普段あまり使わないヘッドフォンの音質が予想以上に良く、
音楽を聞きながら一気に文章が湧き出てきた次第でした。
(映画の話)
まぁ映画だけじゃないんだけど
なんかボケーッと見てると、
全然ストーリーとか入ってこないんだよなぁ
見終わった後なんも残らないみたいな。
ていうか見てる途中すでに半分「飽きたー」みたいな状態になってんだよね。
漫画とかも色々全巻集めたけど、
一回読んでも、ほとんど読み返さないんだよなぁ。
参考書とかだって、何度も同じ問題解いてた方が力つくとか言われてたけど、
同じ問題を解くのは苦痛で仕方ない。
さっきもインセプションしっかり見たんだけど、
途中からすげーつまんなくなっちゃって、
意味不明になった。
読解力と豊かな感受性が欲しい。
2011年3月24日木曜日
黒いたまご
晴れた。
淀んでいた感情が
晴れた。
淀みきった感情のやり場に困って、
音楽にも助けを求めた。
でもダメだった。
結局、
問題ってのは
その根本に向き合わないと何も解決しない。
その根本に向き合うには死ぬほど勇気が必要だった。
まだまだ問題は山積みだけれど、
根本を見極め、勇気をもって向き合っていきたい。
”きみはどうしようもないだろうね
どうにもならないだろうね”
淀んでいた感情が
晴れた。
淀みきった感情のやり場に困って、
音楽にも助けを求めた。
でもダメだった。
結局、
問題ってのは
その根本に向き合わないと何も解決しない。
その根本に向き合うには死ぬほど勇気が必要だった。
まだまだ問題は山積みだけれど、
根本を見極め、勇気をもって向き合っていきたい。
”きみはどうしようもないだろうね
どうにもならないだろうね”
2011年3月21日月曜日
夜空の虫とどこまでも
衝撃的だった。
僕にとって。
僕がかまってちゃんファンを公言すると、軽く引く人達もいるでしょう。
しかし、そんなんどうでもいいんです。
彼が精神的に問題があったって、
ライブで全裸になったって、
リストカットしたって、
ファンにオタクが多くたって、
彼の音楽は純粋にとても響く。
誰か一緒にライブでも行きませんか?
2011年3月15日火曜日
人と災害
(地震の話)
大きな地震が起きました。
社会はダメージを受けています。
人々は様々なことを論争しています。
くだらない論争もたくさんあります。
〜〜なんて不謹慎だ!とか、
〜〜なんて被災地の人々からしたら〜〜だろう!とか。
こういう大きいことが起きると普段と全く違うような発言をしたりする人もいます。
災害ってすごいですね。
(負けず嫌いの話)
以前、すごく勝負事が好きですごく負けず嫌いな人に会いました。
その時思ったことが、
結局、「負けず嫌いな人が勝つ」ということ。
やっぱ負けてもいーやって思ってたら、人には勝てないんだと思います。
自分は全然人と競り合うのが好きではないと思っていたんですが、
以外にそうでもないようです。
バスケにしたって、
自分が試合に出れなくたって全然平気でした。
だけど、たまに心の奥底で火花が飛び散ってたみたいです。
表には出さないんですけど、メラメラと。
いや、なんでこんな話をしたかっていうと、
さっき友人のfacebook見てたら、
なんかメラっときたわけです。
それが
スポーツにおける勝負なのか
恋愛における勝負なのか
ビジネスにおける勝負なのか
学問における勝負なのか
はたまたその他の勝負なのか
は明かしませんが、
とりあえず、
メラっときたんです。
自分もよくわかりませんが、
これで地震も乗り切れそうな気がします。
大きな地震が起きました。
社会はダメージを受けています。
人々は様々なことを論争しています。
くだらない論争もたくさんあります。
〜〜なんて不謹慎だ!とか、
〜〜なんて被災地の人々からしたら〜〜だろう!とか。
こういう大きいことが起きると普段と全く違うような発言をしたりする人もいます。
災害ってすごいですね。
(負けず嫌いの話)
以前、すごく勝負事が好きですごく負けず嫌いな人に会いました。
その時思ったことが、
結局、「負けず嫌いな人が勝つ」ということ。
やっぱ負けてもいーやって思ってたら、人には勝てないんだと思います。
自分は全然人と競り合うのが好きではないと思っていたんですが、
以外にそうでもないようです。
バスケにしたって、
自分が試合に出れなくたって全然平気でした。
だけど、たまに心の奥底で火花が飛び散ってたみたいです。
表には出さないんですけど、メラメラと。
いや、なんでこんな話をしたかっていうと、
さっき友人のfacebook見てたら、
なんかメラっときたわけです。
それが
スポーツにおける勝負なのか
恋愛における勝負なのか
ビジネスにおける勝負なのか
学問における勝負なのか
はたまたその他の勝負なのか
は明かしませんが、
とりあえず、
メラっときたんです。
自分もよくわかりませんが、
これで地震も乗り切れそうな気がします。
2011年3月4日金曜日
本田と藤澤
どうも。
ごぶさたしていました。
とりあえず、生きてます。
21歳になり、人生第2章がスタートしました。
大変順調です。きっと。
どれくらい順調かというと、
ジャンプで3週連続オールカラーを飾るくらい順調だと思います。
具体的に何が順調なのだと言われると困りますが、
強いて言うなら、
自分の認識に
「共同体感覚」
が生まれたからだと思います。
とある企業の代表から教えてもらったのです。
それからアドラーの本を読んでみたのです。
共同体感覚というのは
以前にもblogで紹介しましたが、
(1)「自己肯定感」――こんな自分でも意味があると思える。
(2)「他者への基本的な信頼感」――人を信頼し、みんなで力を合わせて生きていく。
(3)「貢献感」――ちょっぴりでも、人の役に立てるようなことがあったら、やってみる。
この3つをまとめたものです。
共同体感覚は奥が深いので興味を持った人は調べてみてください。
何が言いたいのかというと
(宗教的なことを言ってるのではありません)
意味とはすべて人によって見出されたもの。
我々の人生の意味も同様に他者によって見出されるもの。
だから、どんなに自分の世界の中だけで何か達成したところで、
それは意味という観点からは何も意味をなさないということでしょう。
結局我々の自己も人類という有機的共同体の一部ということなのです。
このことをきちんと認識していれば、それは共同体感覚があると言っていいと思います。
この共同体感覚は主に親や家庭によって訓練されるそうです。
人の考え方の本質や生き方はこの幼少期から培われた潜在的なものが大きく左右しているのです。
僕は21でこの共同体感覚に出会えてよかったと思いました。
自分がこれまでいかに荒んだ感覚しかなかったか。。。
もちろんこれ急にこれらの感覚が身に着くわけではないので、
僕自身はそこまで変わっていませんが、
この感覚を意識することで、意識的に行動を変えることはできるようになりました。
これを続けていくと意識的な行動が習慣化し、
習慣が無意識に行動させ、最終的には自分が変わるのだと思います。
と、まぁここまで
きれいなことばっかり言ってきましたが、
人生第2章もなんとかなるさってわけです。
(本田と藤澤)
本田宗一郎の本を読んで、胸が熱くなりました。
冷めてる僕が熱くなるってことは相当なことなんです。
本田「まあまあだな」
藤澤「そう、まあまあさ」
本田「ここらでいいということにするか」
藤澤「そうしましょう」
ワンピースとか、そんな次元じゃない。
http://www.amazon.co.jp/%E8%A9%95%E4%BC%9D%E6%9C%AC%E7%94%B0%E5%AE%97%E4%B8%80%E9%83%8E%E2%80%95%E5%89%B5%E6%A5%AD%E8%80%85%E3%81%AE%E5%80%AB%E7%90%86%E3%81%A8%E6%98%AD%E5%92%8C%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%A5%E3%81%8F%E3%82%8A%E3%81%AE%E7%B2%BE%E7%A5%9E-%E9%87%8E%E6%9D%91-%E7%AF%A4/dp/4810911926/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1299238078&sr=8-1
ごぶさたしていました。
とりあえず、生きてます。
21歳になり、人生第2章がスタートしました。
大変順調です。きっと。
どれくらい順調かというと、
ジャンプで3週連続オールカラーを飾るくらい順調だと思います。
具体的に何が順調なのだと言われると困りますが、
強いて言うなら、
自分の認識に
「共同体感覚」
が生まれたからだと思います。
とある企業の代表から教えてもらったのです。
それからアドラーの本を読んでみたのです。
共同体感覚というのは
以前にもblogで紹介しましたが、
(1)「自己肯定感」――こんな自分でも意味があると思える。
(2)「他者への基本的な信頼感」――人を信頼し、みんなで力を合わせて生きていく。
(3)「貢献感」――ちょっぴりでも、人の役に立てるようなことがあったら、やってみる。
この3つをまとめたものです。
共同体感覚は奥が深いので興味を持った人は調べてみてください。
何が言いたいのかというと
(宗教的なことを言ってるのではありません)
意味とはすべて人によって見出されたもの。
我々の人生の意味も同様に他者によって見出されるもの。
だから、どんなに自分の世界の中だけで何か達成したところで、
それは意味という観点からは何も意味をなさないということでしょう。
結局我々の自己も人類という有機的共同体の一部ということなのです。
このことをきちんと認識していれば、それは共同体感覚があると言っていいと思います。
この共同体感覚は主に親や家庭によって訓練されるそうです。
人の考え方の本質や生き方はこの幼少期から培われた潜在的なものが大きく左右しているのです。
僕は21でこの共同体感覚に出会えてよかったと思いました。
自分がこれまでいかに荒んだ感覚しかなかったか。。。
もちろんこれ急にこれらの感覚が身に着くわけではないので、
僕自身はそこまで変わっていませんが、
この感覚を意識することで、意識的に行動を変えることはできるようになりました。
これを続けていくと意識的な行動が習慣化し、
習慣が無意識に行動させ、最終的には自分が変わるのだと思います。
と、まぁここまで
きれいなことばっかり言ってきましたが、
人生第2章もなんとかなるさってわけです。
(本田と藤澤)
本田宗一郎の本を読んで、胸が熱くなりました。
冷めてる僕が熱くなるってことは相当なことなんです。
本田「まあまあだな」
藤澤「そう、まあまあさ」
本田「ここらでいいということにするか」
藤澤「そうしましょう」
ワンピースとか、そんな次元じゃない。
http://www.amazon.co.jp/%E8%A9%95%E4%BC%9D%E6%9C%AC%E7%94%B0%E5%AE%97%E4%B8%80%E9%83%8E%E2%80%95%E5%89%B5%E6%A5%AD%E8%80%85%E3%81%AE%E5%80%AB%E7%90%86%E3%81%A8%E6%98%AD%E5%92%8C%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%A5%E3%81%8F%E3%82%8A%E3%81%AE%E7%B2%BE%E7%A5%9E-%E9%87%8E%E6%9D%91-%E7%AF%A4/dp/4810911926/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1299238078&sr=8-1
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